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教育・研究

山浦ゼミ生が沖縄に住む皆さんとオンラインで「平和について考える会」を開催しました

8月9日(木)14時からオンラインで沖縄と長野大学を結んで「平和について考える会」を開催しました。
長野大学山浦ゼミからこれまでの取り組みを報告しました。
沖縄から、山里節子さん(85歳)をお迎えしてご自身の戦争体験についてお話しいただきました。また、長野県出身で現在沖縄の大学に通う山下匠さんからもご自身の取り組みについて紹介してもらいました。


長野大学山浦ゼミの取り組み報告

ゼミ長の社会福祉学部4年生岡田輝さんから、これまでのゼミ活動の概要をお伝えしました。
山浦ゼミでは、上田市で太平洋戦争を経験された人々からの聴き取り調査、また市内にある戦争遺跡について調査をしてきました。
調べたことを自分ごととして捉え、自分たちのような若い世代が感じたこと考えたことを同世代の若者たちに発信・共有していきたいと思います。

昨年度の山浦ゼミの取り組みは以下よりご覧いただけます。
市内の戦争体験者への聴き取りや戦争遺跡から学んだこと (14分12秒)

沖縄県在住の大学生 山下匠さんからの活動報告

長野県出身で沖縄の大学に通う山下匠さんから、これまでご自身で取り組んできたことを紹介していただきました。
山下さんは、平和への取り組みを考える沖縄県主催事業に参加したことで沖縄戦に興味を持ったそうです。
沖縄県主催の事業では、日本(沖縄・広島)と海外(韓国・台湾・カンボジア)の学生たちがオンラインで繋がり、それぞれの戦争の歴史やお互いの平和学習について発表しました。
この経験から、その当時起こったことを調べて伝えることの重要性を実感したそうです。

また、山下さんは、色々と調べていくうちに長野と沖縄のつながりが意外とあることを実感されたそうです。
今後は、沖縄戦の余り知られていない事実(沖縄戦は本土決戦に備えるための時間稼ぎだった。松代大本営建設を待つため)や基地問題、さらには海外の出来事についても学びを深めて行き、発信できるようにしていきたいとのことです。

沖縄県石垣島在住の山里節子さんよりのお話し

石垣島にクラスの山里節子さんは、現在85歳、太平洋戦争が始まったとき4歳でした。戦争でたくさんの家族を失いました。
お兄さんは、1943年那覇にある予科練に行く洋上でアメリカの潜水艦に攻撃されて撃沈されました。お母さんとおじいさんは、疎開先でマラリアにかかって、妹さんは栄養失調のため亡くなったそうです。
様々な大変な体験の中から、今年度山浦ゼミの取り組みのテーマである、疎開について詳しくお話を伺いました。

昭和20年6月空襲が激しくなるなか、山里さんのご一家は、軍からそれぞれの指定された避難先に強制的に疎開させられたそうです。疎開先の山間部は「ヤキーヌシマ」(八重山地方)と呼ばれているマラリアの生息地だったそうです。
疎開先では、山里さんのご自身を始め、多くの人々がマラリアで亡くなったそうです。
「空爆で亡くなった人は170人、マラリアに感染してなくなった方は約3,700人」山里さんは、戦後にこの事実を知って愕然としたそうです。「軍隊が住民を守らなかった。沖縄本島では空襲による犠牲者が多かったが、八重山ではマラリアが原因で直接亡くなる人が多かった」
平時と区別して、このことは「戦争マラリア」と呼ばれています。

学生たちから山里節子さんへの質問

山下匠さん:「最近の石垣島に、アメリカ人・自衛隊が駐屯している状況についてどう思いますか?」
山里さん:「戦争から島を守りたいという気持ちから一貫して、反対の声を上げています。命を島からもらっているから、ささやかながら幸せな今の暮らしを守りたい。基地の島になることで自然が失われてしまう」

山浦ゼミ柳沢駿太さん:「疎開先での暮らしの様子を教えてください」
山里さん:「実際のところ、強制疎開期間はごく短いものだった。1週間から10日ぐらい。掘っ建て小屋のような長屋に10世帯ぐらい入っていた。自分たちがいた小屋の脇にちょうど川が流れていて、その川に爆弾が投下されたために子供たちが砂煙だらけになった。いっしょにいたおばあさんがおったまげて「安全な場所だって言うから逃げてきたのに、こん目に合うなんて怖くておれない」と言って自分の手を引いて小屋から別の避難所に逃げた。終戦まで、そこで過ごすことになった。強制疎開の思い出は知り合いの人がみんなマラリアにかかって喘いでいる状況しか脳裏に残っていない。食事も何を食べたか思い出せないくらいの状況でした。お米にありつけたのは数か月の1、2度でした」

山浦ゼミ岡田輝さん:「疎開先のマラリアについて、知っていましたか?」
山里さん:「大人の中で、山の暮らし(薪拾いに行ったり)をするような人は知っていたかもしれません。一般の人はほとんど知らなかったと思う。マラリアにかかると高熱が続き、子供たちは栄養失調のため瘦せ細ってしまっているが、お腹だけが妊娠しているかのように出てしまっていた」

山浦ゼミ伊藤果穂さん:「こども目線で、終戦についてどのように考えましたか?」
山里さん:「自然の中にいるのが好きだったので、山の中の暮らしは気に入っていました。山の生活を満喫していました。終戦を迎えて、家に帰るのが寂しくて祖母に、どうして戦争を終わらせるの?と聞いたぐらいでした。戦争が終わって、学校の先生から戦争とはどういうものか聞いて、徐々に自由や民主主義について実感しました」

山浦ゼミ高田一吹さん:「戦争がもたらしたものについて教えてください」
山里さん:「妹が戦争で奪われたことが一番憤りを感じる。大人たちが自分たちで選んだ戦争に巻き込まれた。赤ちゃんで亡くなった人たちは、お墓の隅の方にひっそり埋葬される風習だったから、お盆のとき、大人たちを無視して妹のお墓にごちそうを供えました。妹が一番不憫です」

山浦ゼミ上野未来さん:「先ほどの質問で大人たちは戦争を選んでいたとの発言がありましたが、今だから考えられる山里さんの親世代が思っていたことについて教えてください」
山里さん:「わたしの親たちは戦争を肯定している人だった。鬼畜米英という言葉を信じ込まされていた。敵味方関係なく戦争に賛成したり、引き起こしたりする考えこそが鬼畜だと思う」

まとめ

今回の平和を考える会に参加いただいた山下匠さん、山里節子さんありがとうございました。貴重なお話しを伺う機会となり、それぞれの活動を報告・共有することができました。

山浦ゼミでは、戦争体験者から直接お話しを伺う機会が減っていく中で、今回のようなヒアリングを通して、平和について考えて若い世代で語り継いで行きます。

~山里節子さんよりのメッセージ~
もし、次に戦争が起これば敵味方関係なく犠牲が出ます。一番犠牲になるのは、無辜の民(お年寄り・女性・子供たち)です。このような人々が戦争に巻き込まれることがないように、若い方たちに抵抗意識を持ち続けていただきたいです。
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