最近の大きな話題の一つとしてAI(人工知能)の目覚ましい技術的発達と社会への進展がある。対話型AIについては、ほとんどの人が利用しているのではないだろうか。一昔前は、何かを検索しようとすると、いくつかのヒットし易いキーワードを入力し、データベースから関連資料を探していた。これでもずいぶん便利になったものだと感じていた。今は、そんなことを考えなくてもよくて、得たい情報について直接聞けば、答えを出してくれる。隣に物知りの人がいて、その人に話しかけながら、知りたい情報を引き出していく感じである。検索エンジンには、すでにAI検索機能がついている。さらにAIエージェントと呼ばれるものがあって、人間が細かい指示を出さなくても、設定された目標に向けて自ら計画を立て、状況を判断しながら自律的に行動する高度なAIシステムも出現してきている。たとえば、ある課題についてレポート形式で答えてほしいと依頼すると、きちんとレポートで答えてくれる。筆者はまだ経験はないが、プログラム開発について尋ねると目的のプログラムを作成してくれるとのことである。複数のAIエージェントが連携しさらに複雑な課題にも対応できるようになってきているのである。コンピュータのセキュリティーシステムの弱点を見つけ出すAIも出てきている。システムを強化するという点では優れているが、その一方、この機能を利用すると強力な犯罪につながることも容易に推測できる。いったいどこまで進化していくのだろうか。いつかは人間の能力を超え人間が支配されるのではないかと不安さえ感じる。AIの積極的な活用としては、AI for Scienceが注目を浴びている。特に材料科学(マテリアルズ・インフォマティクス)分野では膨大なデータベースから、新しい性質を持つ合金や電池材料の候補をAIが数時間で探索・提案ができるとして、研究者はすでにこの研究方法を取り入れている。
一方、AIは私たちの仕事の中にも入り込んできている。過去の経験に基づく仕事、ルーティンワーク、定められた窓口業務等はAIにとって代わる可能性が高い。いわゆるホワイトカラーの仕事がAIに変わり、そこで働いていた人たちはそこから追い出される。より創造的な業務や戦略を考える業務にシフトできる人であれば、問題は少ないが、多くの人が途方に暮れる。かつては、仕事の質というより、会社の様々な業務を分担し、その仕事のプロを目指していけば会社に貢献しているという満足感があった。それが働き甲斐にも繋がっていた。ところがAIが仕事に入り込んでくると業務が仕分けされ、不要とされる業務が現れてきたのである。そこで働いていた人は会社にとって不必要だとレッテルを貼られる。仕事をすること自体で意味があると信じてきた人たちは、これから何に生き甲斐を求めていけばよいだろうか。
この状況に対処するためには、明らかに視点を変える必要がある。仕事が生き甲斐とするのではなく、AIには振り回されない別な生き甲斐、価値観を見出していかなければならない。大きく分けると心の支えとなる精神的なもの、興味があり続けられる物理的なもの、人との交わりの中で自分を磨けるもの、ペットなどの動植物との触れ合いを大切にするもの、様々な探求、発見を求めるもの、最近は、スポーツチームのファンや推し活など自分の思いを積極的に実現する、あるいは新たなコミュニティーの形成に繋がるもの等、考えてみるとまだ他にもたくさんありそうだ。そこには、常に自分を見つめ、自分は何に価値を見出そうとしているのか、人生をどう過ごしていきたいのかを考えるマインドが必要となる。
この様なマインドはすぐに醸成されるものではなく、様々な視点から学びながら少しずつ身に付けていくものであると思う。このような視点を盛り込んだ教養科目群を整備し、高等教育の中で教えていく必要があると考える。人間の本質を考える科目群(人間の特徴、人間らしさ、幸せとは何か、哲学的視点から探る人間の本質、脳の仕組み等)を開発し提供していくべきではないだろうか。また、AIの進展に合わせて、AIについて深く学ぶ科目群、課題解決のための創造力・デザイン力を鍛える科目群なども必要だと考える。
AIの進展は、かつてないほど人間のあるべき姿を問う機会となっていると強く感じている。