私は、現在上田市前山にある実家に住み長野大学に車で通勤している。56年ぶりに故郷に帰ってきた。もちろんお盆やお正月など年4,5回は帰省していた。自宅は、以前の仕事の関係があって茨城県牛久市にある。月に1,2回ぐらいのペースで自宅に戻る。それ以外は実家で過ごす。実家は塩田平の南の方で独鈷山の麓といった感じである。家からは独鈷山を中心とした連山が我が家の庭から見え、借景として素晴らしいと改めて感じた次第である。芽吹きの柔らかさを感じさせてくれる春、深緑でうっそうとした夏、色とりどりで華やかさを楽しませてくれる紅葉の秋、雪により岩山の荒々しさを際立たせてくれる冬、独鈷山は季節ごと衣替えをし、私たちに季節感を感じさせ時の変化を楽しませてくれる。
そんな山の変化を確かめるために、実家にいる土日は、必ず散歩をする。コースは3通りと決めていて、その日によってコースを選ぶ。約5kmの道のりで1時間20分ぐらいの行程である。最近は日中が暑いので、朝早くに出かける。季節は梅雨ではあるがすでに夏に入りかけている。道の両側には田んぼが広がり、稲の分蘖が進み青い葉の柔らかさを感じる時期を既に過ぎ、葉がツンツンとして天に向かってまっすぐ伸び大人の一歩手前といった感じの稲が広がっている。でも田んぼをよく見るとそれぞれの田んぼで育ち方が違っている。きちんとそろった稲が一面に広がっている田んぼもあれば、やや色むらがあり成長が場所ごとに異なっている田んぼもある。生産者の個性がよく表れている。
独鈷山の裾野にさしかかり、やがて上り道になってくる。結構な勾配である。少し息が上がってくる。その日の体調が現れる瞬間である。数百メートルの道のりを、前を見ながら集中して上る。やがて視界が広がってくる。塩田平から上田市の町並みまで一望できる。素晴らしい景色である。家並みは変化に富んでいて、ここで暮らす人々の営みがそこにあると考えると考え深い。新幹線の高架橋が一直線に長く伸びている。中禅寺、塩野神社を右手に見ながら道は下りに入る。水車、あじさい小道、塩野池、龍光院山門を通り、実家に戻る。

帰る途中、桑の実を見つけた。最近は養蚕農家がなくなり桑畑は全くなくなった。子供の頃は、桑畑にある桑の実をよく食べたものだった。甘酸っぱく美味しい。道路端に大きな桑の木が自生していた。普段はその桑の木に気づかずほとんど素通りしていた。でも今回、桑の木の下が桑の実が落ちで紫色になっていたので、「あれ!」と思い、桑の木を見上げた。そこにはたくさんの桑の実が付いていた。濃い紫色で実に食べ頃であった。早速何粒か取って食べてみる。昔のままの味である。その瞬間子供の頃にタイムスリップした感じがした。実に美味しかった。手が桑の実の汁で紫色になっていた。これも昔のままである。桑の実を食べながら、昔よく食べた木の実を思い出していた。ニワウメ、グミ、スグリなどが懐かしく思い出された。