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学長コラムNo.9
大山加奈さんの講演を聴いて

1月10日、長野市で行われた恒例の令和7年新春講演会・賀詞交換会に参加した。主催は一般社団法人長野県経営者協会である。主に県内の企業のトップが集う会で約250名が参加していた。大学関係者は来賓として招待された。筆者は昨年からの参加である。新春講演会であるので、馴染みのある方が講師として招かれているようだ。昨年はかつてのマラソンランナーとして有名な瀬古利彦さんであった。とても楽しい講演だったのを覚えている。今年は、元女子バレーボール日本代表の大山加奈さんである。以前の講師がどのように選ばれているのかは分からないが、ここ2年間はアスリートが講師として招かれている。

司会者から「講師の入場です。」と声がかかり、講師の大山加奈さんが颯爽と入場してきた。さすがに背が高い。圧倒される感じである。でもにこやかに挨拶され自然な振る舞いが好印象であった。彼女は1984年に生まれ、東京都出身。小学校2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験した希な存在である。その後、東レ・アローズ女子バレーボール部に所属した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場している。力強いスパイクを武器に「パワフルカナ」の愛称で親しまれた存在である。現在は育児と共に、全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活動しながらスポーツ界やバレーボール界の発展に力を注いでいる。

講演のテーマは、「繋ぐ~バレーボールが教えてくれたこと~」。さて、どんな話をされるのか大変興味があった。彼女の華々しい経験からすると、勝利したときの喜びなど成功体験の話をするのかと思っていたが全く違っていた。「チーム」とは何か。理路整然とした話しぶりに聴衆は引き込まれていった。彼女はいつもチームのキャプテンであり、チームのメンバーは勝利に向かって心を合わせ、同じ考えのもと一致団結して立ち向かうべきとの考えでチームを引っ張ってきた。自分はそれだけの自信があった。しかし、元々腰に持病があり、あるときから腰をかばうようになって思うようなプレーができなくなり、試合にも負けるようになった。本人は相当ショックでバレーボールを止めようかと悩んだ。その時チームメイトの荒木絵里香さん(同年で同じ高校チーム、4度オリンピックを経験)から、「いつまでめそめそしているんだ。」と責められた。元々荒木さんには良い印象はなく、一致団結の精神からかけ離れていて嫌いであった。そのため、大喧嘩になったそうだ。心の中に溜まっているものをお互いにはき出した。結果的には、気持ちがすっきりしたとのこと。「人はそれぞれ違うのだから個性があってそれを発揮すればいいのではないか。」と言う荒木さんの言葉が今まで胸につかえたものがスッとなくなったそうだ。喧嘩の後で荒木さんには心から感謝し、それ以来真の友人となった。「そうだ、組織は、同じ人ばかりでは駄目で、いろいろな人がいて初めてチームが強くなる。」と納得した。そして、メンバーはお互いにカバーすることでチームが成り立つと強く感じたと強調した。まさにその通りである。

もう一つのエピソードは、高校時代の監督の話である。この監督は、まずいプレーをしても怒らなかった。自分がとった行動をありのままに言うだけだった。これはどういうことだろうとずっと考えていた。怒られた方が分かりやすくてその方が良かったと思っていた。しかし時間をかけて考えていくとなんとなく分かってきた。選手は、プレーの中では、瞬時に判断して続けていかなければならない。それができる人が強くなる。つまり、監督の言われた通りのことをしているだけでは、自分で考えたりしないので、試合では対応できない。常に主体的に自分で考え行動することが最も大切であると気がついた。この監督は私がしたことの事実を伝え、その行動のどこが悪かったのか自分で考え反省し、次に対処すべきという指導法をとっているのだと理解した。芯からこの監督を信頼できるようになり、今でもお付合いさせてもらっているとのことであった。

1時間半の講演であったが、話に引き込まれ長いとは感じなかった。良く整理された内容であった。現在は双子のお子さんの育児に時間を割かれているが、やはり子供の成長は楽しみのようだ。本学には、昨年度まで野口京子(旧姓石田)さんが教授としていた。彼女も女子バレーボールで活躍し、日立女子バレーボール部ではキャプテンを務めていた。1984年のロサンゼルスオリンピックに出場し、銅メダルを獲得している。世界を極めるような選手は、どこか圧倒されるオーラのようなものを感じる。大山さんの今後のご活躍を期待したい。

梅の花(東京小石川植物園)筆者撮影