10月2日、神山征二郎(こうやま せいじろう)映画監督をお迎えし、講演会を実施した。聴衆は約90名であり、学生、教員、職員がほぼ1/3ずつであった。後期授業がスタートしたばかりであったので、学生への周知が難しかったが、ポスター表示や、はがきサイズのチラシを昼休みに配布するなどして、まずまずの学生を集めることができた。学生集めにご尽力いただいた方々に改めて感謝を申し上げたい。
神山征二郎監督は、日本大学芸術学部映画学科を中退後、1963年、新藤兼人監督が主宰する「近代映画協会」に参加する。新藤兼人、吉村公三郎、今井正各監督の助手を務めた後、1971年、『鯉のいる村』で監督デビューする。1976年、『二つのハーモニカ』で「日本映画監督協会新人奨励賞」を受賞する。その後、独立し、1983年『ふるさと』を発表し、「文化庁優秀映画奨励賞」を受けるなど国内外で高い評価を受ける。1987年に『ハチ公物語』が大ヒットし、山路ふみ子映画賞を受賞する。1988年に「神山プロダクション」を設立し、以後、ヒューマニズムあふれる作品を次々と発表し、日本映画界を代表する映画監督となった。
代表作としては、鯉のいる村(1971年)、二つのハーモニカ(1976年)、看護婦のオヤジがんばる(1980年)、ふるさと(1983年)、旅路村でいちばんの首吊りの木(1986年)、ハチ公物語(1987年)、千羽づる(1989年)、ドンマイ(1990年)、白い手(1990年)、遠き落日(1992年)、月光の夏(1993年)、さくら(1994年)、ひめゆりの塔(1995年)、三たびの海峡(1995年)、宮澤賢治 -その愛-(1996年)、郡上一揆(2000年)、大河の一滴(2001年)、草の乱(2004年)、北辰斜めにさすところ(2007年)、最後の早慶戦(2008年)などがある。最新作として、シンペイ 歌こそすべて(2024年)が長野県では、今年の11月に封切りとなり、2025年1月に全国展開される。長野県が生んだ作曲家中山晋平の生涯を描いた作品である。
講演では、神山監督の人となりを監督自ら語っていただき、映画界の厳しさを示しながらも、作品を作る情熱の一端を話され、素晴らしい監督であることを肌で感じることができた。また、神山監督は長い間東京を拠点として活躍されてきたが、現在上田市にお住いを移され、映画活動を精力的に行っている。なぜ上田に引っ越したのか、大変興味があったので、そのあたりを話していただいた。上田市の隣に長和町という中山間地区の町があり、そこに別荘を建てたのがきっかけである。上田地域は、年間の降水量が全国一少ない地域である。それは日本海や太平洋からの影響が少なく内陸性気候がはっきり現れる地域のためである。つまり晴れの日が多く、湿気も少なく、実に快適であるという理由であった。確かに最近は温暖化の影響で暑くはなったが、湿気は少なくからっとしていて、気持ちが良い。軽井沢は、避暑地ではあるが霧が発生しやすく湿気が多い。上田地域は、かつては日本で有数の養蚕業の盛んな地区であった。気候が影響しているのは確かである。果樹栽培にも適していて、リンゴ、ブドウ、桃などの栽培が盛んで味が良い。
1時間の講演であったが、あっという間であった。人間の機微を鋭く切り取りながらも優しく描き、見る人に感動を与える作品となっていることが分かった。帰り際に作品をどう作っていくのか、そのあたりを次回お願いしたいと申し入れたところ快く受け入れていただいた。自信があるとのことであった。映画作品をどうデザインしていくのか、デザイン教育の本質に繋がるものである。学生には是非聞いてもらいたい。