【2023.6.12】
ここは、1945年(昭和20年)8月18日、当時上田飛行場で特攻隊員の教官をしていた遊佐卯之助准尉(享年30)が奥様秀子さん(22)と娘の久子さん(生後28日)と一緒に自決をした現場が残されています。戦争に敗れた3日後に家族三人でなぜ自決をすることになってしまったのか。戦争が生み出した悲劇としても絶句であり、なんと惨い出来事でしょう。
現場は、上田市富士山にある猫山の東側面にひっそりと佇んでいます。
石塔には、「おのが身を信濃の山路にくさむせど あだうち払え 大和魂」という辞世の句が刻まれています。現在でも、関係者の皆さんの手で草刈りや案内板などの整備がなされています。現場では、高校生の皆さんに本ゼミの学生が語り部となって説明を行いました。初めてここを訪れた大学生や高校生の皆さんは神妙な面持ちで聞き入っておりました。
令和5年4月、上田市教育委員会によって戦争遺跡として説明板が立てられました。戦争による悲劇を風化させることなく次世代に引き継いでいかなければいけないと改めて考えさせられました。
最初に訪れたのは、上田市立塩川小学校にあった奉安殿です。塩川小学校百年誌によると1928年(昭和3年)奉安所新築とあります。
終戦後、奉安殿はGHQの指令により撤去されることになり現在はほとんど残っていません。上田市内には塩川小学校、上田市立本原小学校に原型を留めたものが残されており貴重な戦争遺跡と思われます。両校とも学校内からは移設され、塩川小学校の奉安殿は十二柱神社へ、本原小学校の奉安殿は広山寺へ移されています。
奉安殿とは天皇の神格化と戦意高揚のために教育勅語と昭和天皇・皇后の「御真影」と呼ばれた写真が全国の学校に下賜され、それらを収納するためのもので、皇民化教育を推進するシンボルの役割を果たしていました。
四元節(元旦、紀元節、天長節、明治節)には全校生徒や村会議員を含む有志が奉安殿の前に参列し、校長が教育勅語を読み上げ終わるまで全員が頭を深く下げ聞き入りました。また、登下校時には児童生徒や職員は奉安殿の前を通る際、必ず立ち止まって最敬礼をすることが義務付けられていたのでした。
本原小学校の奉安殿については、同校百年誌「育英」によると1925年(大正14年)新築され、1928年(昭和3年)昭和天皇・皇后陛下の御真影を下賜され1946年(昭和21年)12.8奉安殿を撤去し広山寺に移設したことが記されています。移設後は、戦没者の慰霊碑として遺族会の皆さんが管理されているようです。
私は前回、今回と2回のフィールドワークに参加させていただいたのですが、戦争に対する考えがかなり変わりました。上田に特攻隊の訓練所があったこと、実際に何人もの人が特攻隊員として命を落としたこと、そして今回実際に遊佐さんと彼の妻子が亡くなった場所を訪れたことで戦争を身近に感じただけでなく、その悲惨さを思い知らされました。戦争についてより知ることができたこの経験を、自分の中だけで終わらせずに国内外の人たちに知ってもらえるようパンフレットという形でしっかり情報発信できるように頑張って行きたいです。貴重な機会をいただきありがとうございました。
関ひかるさん
フィールドワークを通して、いろいろなことを学ぶことができました。自分が住んでいるすぐ身近で昔こんなことがあったのは知らなかったし、とても衝撃でした。私は前にユダヤ人博物館に行きました。その時に実際にホロコーストを体験した人が事前録画をしてある画面に、画面を通して訪れた人たちの質問に答えるというものがありました。これからの若い世代に戦争のむごさを伝えていくために、そのような工夫が必要だなと思いました。自分がその先頭に立って広めていきたいです。今回はありがとうございました。
大井彩菜さん
私は第一回と第二回どちらも参加をしたので、多くのことを新しく知ることができました。もともと興味があった特攻隊の話もお聞きすることができて、すごく勉強になりました。同時に、遊佐さんのような温かくて優しい人を死に追いやってしまった戦争の悲惨さを絶対に忘れてはいけないと改めて強く感じました。貴重なお話、ありがとうございました。
浅田もえさん
今回、フィールドワークに参加させてもらったことで、今まで以上に戦争について学ぶことができたり、遊佐さんの優しさや責任感の強さというものを感じたりすることができました。私たちは苦しい思いや悲しい思いをせず、毎日幸せに過ごすことができています。けれど、現在も世界の一部では戦争が起きていて、多くの人の命が奪われています。こんなに辛いことがもう二度と繰り返されないように私たち高校生が、戦争のことについて日本の方だけではなく、海外の方にも知ってもらえるように私たちなりに発信していきたいと強く思いました。
岩下真千さん
今までは上田の歴史について深く考える機会はあまりありませんでしたが、今回参加して、上田市の歴史について知ることができ、とても興味がわきました。今回、私たちが知ってもらったことを海外の人たちにも知ってもらい、価値のあるパンフレットにしたいと思いがさらに強まりました。貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
酒井瑛菜さん
生徒達は、現地で当時の様子をお聞きし当時の様子を思い浮かべていたようです。資料なども用意していただき本当にありがとうございました。また、貴学の学生さんたちと戦跡マップを一緒に作成するのを楽しみにしております。今後ともぜひよろしくお願いいたします。
山口裕恵先生
猫山に来るのは2回目ですが、今回も遊佐さんと奥さんの秀子さんの覚悟を知り、すごく尊敬しました。自分がその当時に生きていたら、同じ覚悟を持っていたでしょうかと考えさせられます。すごい献身的だと思います。そして、十二柱神社内はけっこう大きくてびっくりしました。もしこれが火事でなくなっていたら校長先生が責任を取らなければならなかったと聞いてびっくりしました。上田にこんなにたくさん歴史的なところがあるのに感動しています。昔から日本の歴史にすごく興味があるので、今回も一緒に参加することができて嬉しいです。本当にありがとうございました!
エイミー先生(ALT 米国)
ここは、1945年(昭和20年)8月18日、当時上田飛行場で特攻隊員の教官をしていた遊佐卯之助准尉(享年30)が奥様秀子さん(22)と娘の久子さん(生後28日)と一緒に自決をした現場が残されています。戦争に敗れた3日後に家族三人でなぜ自決をすることになってしまったのか。戦争が生み出した悲劇としても絶句であり、なんと惨い出来事でしょう。
現場は、上田市富士山にある猫山の東側面にひっそりと佇んでいます。
石塔には、「おのが身を信濃の山路にくさむせど あだうち払え 大和魂」という辞世の句が刻まれています。現在でも、関係者の皆さんの手で草刈りや案内板などの整備がなされています。現場では、高校生の皆さんに本ゼミの学生が語り部となって説明を行いました。初めてここを訪れた大学生や高校生の皆さんは神妙な面持ちで聞き入っておりました。
令和5年4月、上田市教育委員会によって戦争遺跡として説明板が立てられました。戦争による悲劇を風化させることなく次世代に引き継いでいかなければいけないと改めて考えさせられました。
最初に訪れたのは、上田市立塩川小学校にあった奉安殿です。塩川小学校百年誌によると1928年(昭和3年)奉安所新築とあります。
終戦後、奉安殿はGHQの指令により撤去されることになり現在はほとんど残っていません。上田市内には塩川小学校、上田市立本原小学校に原型を留めたものが残されており貴重な戦争遺跡と思われます。両校とも学校内からは移設され、塩川小学校の奉安殿は十二柱神社へ、本原小学校の奉安殿は広山寺へ移されています。
奉安殿とは天皇の神格化と戦意高揚のために教育勅語と昭和天皇・皇后の「御真影」と呼ばれた写真が全国の学校に下賜され、それらを収納するためのもので、皇民化教育を推進するシンボルの役割を果たしていました。
四元節(元旦、紀元節、天長節、明治節)には全校生徒や村会議員を含む有志が奉安殿の前に参列し、校長が教育勅語を読み上げ終わるまで全員が頭を深く下げ聞き入りました。また、登下校時には児童生徒や職員は奉安殿の前を通る際、必ず立ち止まって最敬礼をすることが義務付けられていたのでした。
本原小学校の奉安殿については、同校百年誌「育英」によると1925年(大正14年)新築され、1928年(昭和3年)昭和天皇・皇后陛下の御真影を下賜され1946年(昭和21年)12.8奉安殿を撤去し広山寺に移設したことが記されています。移設後は、戦没者の慰霊碑として遺族会の皆さんが管理されているようです。
塩川小学校の奉安殿(十二柱神社内)
本原小学校の奉安殿(広山寺内)
本原小学校の奉安殿前にて
今回のフィールドワークに参加された上田西高校の皆さんの感想を掲載します。私は前回、今回と2回のフィールドワークに参加させていただいたのですが、戦争に対する考えがかなり変わりました。上田に特攻隊の訓練所があったこと、実際に何人もの人が特攻隊員として命を落としたこと、そして今回実際に遊佐さんと彼の妻子が亡くなった場所を訪れたことで戦争を身近に感じただけでなく、その悲惨さを思い知らされました。戦争についてより知ることができたこの経験を、自分の中だけで終わらせずに国内外の人たちに知ってもらえるようパンフレットという形でしっかり情報発信できるように頑張って行きたいです。貴重な機会をいただきありがとうございました。
関ひかるさん
フィールドワークを通して、いろいろなことを学ぶことができました。自分が住んでいるすぐ身近で昔こんなことがあったのは知らなかったし、とても衝撃でした。私は前にユダヤ人博物館に行きました。その時に実際にホロコーストを体験した人が事前録画をしてある画面に、画面を通して訪れた人たちの質問に答えるというものがありました。これからの若い世代に戦争のむごさを伝えていくために、そのような工夫が必要だなと思いました。自分がその先頭に立って広めていきたいです。今回はありがとうございました。
大井彩菜さん
私は第一回と第二回どちらも参加をしたので、多くのことを新しく知ることができました。もともと興味があった特攻隊の話もお聞きすることができて、すごく勉強になりました。同時に、遊佐さんのような温かくて優しい人を死に追いやってしまった戦争の悲惨さを絶対に忘れてはいけないと改めて強く感じました。貴重なお話、ありがとうございました。
浅田もえさん
今回、フィールドワークに参加させてもらったことで、今まで以上に戦争について学ぶことができたり、遊佐さんの優しさや責任感の強さというものを感じたりすることができました。私たちは苦しい思いや悲しい思いをせず、毎日幸せに過ごすことができています。けれど、現在も世界の一部では戦争が起きていて、多くの人の命が奪われています。こんなに辛いことがもう二度と繰り返されないように私たち高校生が、戦争のことについて日本の方だけではなく、海外の方にも知ってもらえるように私たちなりに発信していきたいと強く思いました。
岩下真千さん
今までは上田の歴史について深く考える機会はあまりありませんでしたが、今回参加して、上田市の歴史について知ることができ、とても興味がわきました。今回、私たちが知ってもらったことを海外の人たちにも知ってもらい、価値のあるパンフレットにしたいと思いがさらに強まりました。貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
酒井瑛菜さん
生徒達は、現地で当時の様子をお聞きし当時の様子を思い浮かべていたようです。資料なども用意していただき本当にありがとうございました。また、貴学の学生さんたちと戦跡マップを一緒に作成するのを楽しみにしております。今後ともぜひよろしくお願いいたします。
山口裕恵先生
猫山に来るのは2回目ですが、今回も遊佐さんと奥さんの秀子さんの覚悟を知り、すごく尊敬しました。自分がその当時に生きていたら、同じ覚悟を持っていたでしょうかと考えさせられます。すごい献身的だと思います。そして、十二柱神社内はけっこう大きくてびっくりしました。もしこれが火事でなくなっていたら校長先生が責任を取らなければならなかったと聞いてびっくりしました。上田にこんなにたくさん歴史的なところがあるのに感動しています。昔から日本の歴史にすごく興味があるので、今回も一緒に参加することができて嬉しいです。本当にありがとうございました!
エイミー先生(ALT 米国)