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教育・研究

太平洋戦争戦跡調査フィールドワーク第2弾

【2022.7.22】
 山浦ゼミでは、7月9日(土)午前10時から上田市内に残る太平洋戦跡を再発信するため元上田千曲高校教諭でヤマンバの会の手塚正道さんを講師にお迎えして第2回フィールドワークを実施しました。

実施した見学箇所
◇旧上田飛行場跡
 昭和6年6月満州事変が勃発します。同時期上田市において、不況対策、失業対策事業で現上田千曲高校の敷地に飛行場建設計画が始まりました。旧上田飛行場です。
10月17日に開場式が行われ、当時は東西600m、南北200mの野原を地ならしした程度の飛行場が始動しました。
 上田は、東京から新潟への地理的要衝でした。また、地形的にも低地や平地が広がり航空コースにも適していました。
 戦争が逼迫してくると昭和8年4月陸軍に献納され上田陸軍飛行場になりました。昭和12年には熊谷陸軍飛行学校上田分教場に名称変更し、昭和20年4月特攻攻撃の訓練基地に変化しました。
昭和20年には、第一次、第二次特攻隊各5名計10名が出撃したのでした。

上田千曲高等学校グランド


◇上田飛行機部品地下工場跡
 松代の大本営工事(マ工事)と同時期に上田にも地下工場建設工事(ウ工事)が計画されました。これは、名古屋の三菱重工が空襲されたため、軍需工場の疎開を余儀なくされたのでした。昭和20年6月8日、工事が開始されました。
 この工事には多くの人々が動員されました。
 
東部軍27659部隊  530人
 朝鮮人労働者  約4400人 が動員され、8月完成を目指しました。

 〇上田市内飛行機部品地下工場予定地は以下の4箇所でした。
  ①工事本部(生島足島神社内)
  ②仁古田地区地下工場
  ③下之郷半地下工場
  ④神畑半地下工場
  ⑤上田原半地下工場 

 これらの地下工場は、8月15日終戦となったため、工事は未完成のまま残されたのでした。私たちは、今回②、③、⑤の三箇所を見学することができました。 

②仁古田飛行機部品地下工場跡


⑤上田原掩体半地下工場跡


③下之郷地下工場跡



◇上田空襲戦跡
 上田は計3回空襲されました。2回目の空襲で全焼したのが小県蚕業学校(現上田東高校)でした。正門を入って左手に残る欅の大木が当時の戦災の爪痕を後世に語りかけています。

上田東高等学校正門より

上田東高等学校「戦災記念ノ欅」前にて

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