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教育・研究

第3回 太平洋戦争体験者の証言を聴く

【2022.7.11】
 山浦ゼミでは、7月8日(金)長野大学2-203教室において市内にお住いの宮島満里子さん(96)と前島章治さん(87)のお二人にお話をお聴きすることができました。宮島さんからは、1943.10.21東京代々木の神宮外苑で行われた学徒動員の出陣式に参加した時の思い出や1944年日本光学(レンズ製造)へ勤労動員されたことが語られました。

 また、1945.3の東京大空襲や毎日のように繰り返される空襲の中で5月には工場の寮において焼夷弾によって被災し仲間を失ったことなど辛く悲しい体験もお話しいただきました。
 他の寮へ移った際、空襲警報が出されている最中、応接間に置いてあったグランドピアノで友達の一人が「ショパン」を弾きだした。みんな足を止めてじっと聴いていました。私にとって「たった一つの演奏会で宝物です」と語られた。
 
 前島さんは、当時5歳。八木沢から出征した人は、約40名いました。そのうち18名が戦死しました。国防婦人会の皆さんが戦勝祈願をして毎日のように出征兵士を見送りました。青年団の軍楽隊(14~28歳)が「露営の歌」や「愛国行進曲」を演奏して見送りました。1943年から学徒出陣がはじまり、予科練(14~17歳)も始まりました。
1944年には、本土空襲が激しくなり、学童疎開も来るようになりました。三軒に9人来たように思います。また、下士官以上の未亡人の皆さんが30名疎開してきました。法輪寺や舞田にも宿泊しておりました。

 1945年6月仁古田地下壕飛行機部品工場の工事が始まりました。八木沢側からも掘削が始まり、最初は兵隊が来ましたが、のちに松代から朝鮮人が移動して250人ほどが八木沢に宿泊して工事を行っていました。仁古田の地下壕は5本。入口2m~3m奥行20mほどでした。
 
最後に、宮島さんは、「戦争を体験したからこそ今の平和が大切です。だんだん本当のことが言えないような雰囲気を感じます。どんなに社会が文化国家になっても戦争は、「殺りく」「破壊」「略奪」「凌辱」この4点は変わりません。そういう世の中になったら大変です。死んだら二度とかえりません。選挙に行く以外にはないのです。」と最後語気を強めて締めくくられました。

私たちにとって、心にずしりと感じた証言をいただきました。暑さ厳しい中おいでくださったお二人に心より感謝申し上げます。
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