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ニュース&トピックス

【社会福祉学部】山浦ゼミ4年岡田輝さんがスピーチ 上田市戦没者追悼式(11月15日)


2023年11月15日に、上田創造館で「上田市戦没者追悼式」が開催されました。
追悼式には、市遺族会・市議・市自治連合会役員などの100人が参列しました。
市遺族会の提案で、戦争体験者への聴き取りを調査に取り組む山浦ゼミから、岡田輝さんがスピーチ「平和へのメッセージ」を行いました。
追悼式の模様は、2023年11月16日信濃毎日新聞に掲載されました。
また、UCVレポート から動画ニュースをご覧いただくことができます。
平和への誓い新たに 上田市戦没者追悼式 上田創造館(2分15秒)

山浦ゼミでは、戦争体験者の聴き取り調査を進めています。
昨年度に引き続き、今年も太平洋戦争時における日常生活の体験・エピソードを学生が聞き取りをして冊子にまとめ、次世代を担う若い世代に語り継ぎ、平和の尊さを発信します。
昨年度の成果物『若者たちへの伝言』を見る。
平和へのメッセージ
 この度、上田市戦没者追悼式において、私がスピーチをさせていただけることを大変光栄に存じます。
 私は、ここに立つにあたり改めて「平和とは何か。」について考えてみました。
 先の大戦では、310万人を超えるたくさんの尊い命が失われました。
 今を生きる私たちの「平和」や「自由」は、当たり前の日常を享受できなかった方々の尊い犠牲の上に立っています。
 自らの命を捧げた方々は、国のため、残された家族のために、その命を賭して戦争に立ち向かっていきました。戦争の中で、さまざまな葛藤や恐怖、苦しみを感じながらも勇敢に立ち向かいました。
 残された私たちは、亡くなられた方々のお一人お一人の生きた証として、人生の物語や記憶を次世代に語り続けなければならないと考えます。そして、悲惨な戦争を二度と繰り返さないためにも、歴史を学び、事実を知り、真の平和を築く道を切り開き、歩み続けていかなければなりません。そのような思いから、本日ここに立たせていただきました。
現在、私は長野大学社会福祉学部ですべての人が誰一人取り残されることなく幸せを享受できる福祉の未来を学んでいます。併せて、社会科の教師を志望しているため、地域の歴史を深く学びたいと考え、専門ゼミでは、戦時下における日常をテーマに調査活動を続けています。戦時下のくらしを体験された方々の想いを直接聴き取ることを通して、戦争とは何か。平和とは何かについて考えることが必要だと思っています。
 戦時下を生き抜いてこられたお一人お一人の人生の歴史こそ生きた証として、記録し語り継いでいくことが必要だと思います。しかしながら、このような戦争の歴史の事実は語られることなく風化し、大きな歴史のうねりの中に吞み込まれようとしているのです。
 私たちが聴き取りをしたある100歳になる高齢者の方は、「私は、自分の体験を話したいと思っていました。でも、誰も耳を傾けようとしないんです。今回若いあなた方が聴き取りに来てくれて本当にうれしく思っています。」また、ある方は「今の日本はとても心配です。だから、皆さんたちのような若い人たちがしっかり勉強して二度と戦争を繰り返さないようにお願いします。」と手を握って思いを託してくれました。語り手の皆さんの話す物語は決して忘れ去られてはいけないものだと何度も何度も考えさせられました。
 勇気、友情、愛、犠牲の物語は私たちの心に深く刻まれるべきだと考えます。そして、聴き取り調査を通して、学び、感じ、考えたことを自分にだけにとどめることなく、次世代に伝えていきたいと思っています。
 戦争当時の記憶を私たちに伝えるものとして戦争遺跡があります。上田市内に残る戦争遺跡を実際に訪れ、その痕跡から当時の時代背景とそこに巻き込まれながら様々な自由を制限された当時のみなさんの日常を考えてきました。
 私の出身は群馬県であり、上田市に住み始めてから4年の月日が経ちました。しかし、この活動を始めるまでは、上田にも戦争の被害があったことや戦争遺跡が身近にあること、戦争を体験した方々がこんなにも身近にいることを聞いたことすらありませんでした。これまで小学校、中学校、高校と戦争について学ぶ機会は多くありました。しかし、それも教科書で学ぶ表面上の大まかな出来事だけであり、誰もが戦争を自分事として捉えることができなかったと思います。戦時下の暮らしについて、知れば知るほど、戦争というものを自分事として捉えることができるようになってきたと思います。
 市内にのこる戦争遺跡の中から大変心を動かされたものを紹介します。
 長野大学近くの上田市冨士山に旧上田飛行場において特攻隊員の教官していた遊佐卯之助准尉ご家族の慰霊の塔があります。
遊佐卯之助准尉は終戦の3日後に妻子とともに自決をします。
なぜ終戦をしたにもかかわらず、平和な未来が待っているはずなのに妻子と共に自決をしなければならなかったのか。
私は「責任と約束」であると考えました。
遊佐卯之助准尉は教え子である特攻隊員たちにある言葉を伝えていました。
「君たちの命を預けてくれ。」
「君たちの命が無くなるときは私の命もない、預かった命は自分の命に代えてでも教える。」と、この特攻教官としての責任と特攻隊員と交わした約束から凄惨な戦時下を生き延びたにもかかわらず、妻子と共に自決の道を選んだのです。
軍国主義の中では、珍しい優しさを持った遊佐卯之助准尉をも自決に追い込んだ戦時下の考えをもう一度繰り返すようなことがあっても良いのでしょうか。誰もが良いとは考えないはずです。
現代の私たちの生活は、戦争を身近に感じることができず、戦争とははるか昔の出来事と捉えがちです。
忘れるということは、すなわち、同じ過ちを繰り返してしまうということに繋がります。
このことから、戦争の事実を過去の出来事として捉えるだけでなく、自分事として捉え興味、関心を持つこと。そして、まず何より「知る」ことが最も大切だと考えました。
私と同世代の人間はもちろん、高校生や中学生、小学生などのより若い世代に対して、戦争について知り、平和とは何か、幸せとは何かを考えてほしいというメッセージを伝えていきたいと思っています。
 聴き取り調査の中で、ある一人の女性の方に平和とは何ですかという問いかけをしました。するとその女性は「今。自由に好きなこと、やりたいことが思いっきりできること。」とおっしゃっていました。日本だけでなく世界に目を向けてみるとウクライナとロシアの戦争やアフガニスタンでの内戦、イスラエルとパレスチナの問題など今もなお戦争は世界のどこかでは続いており、この瞬間にも誰かが戦地で命を落としているかもしれません。平和な世界の構築のためには平和主義を抱える日本が先頭に立って世界各国を引っ張っていく必要があると感じています。
 今後、日本が、そして世界が戦争を起こさない、繰り返さないためには何が必要なのか。それはやはり私たち若い世代の活動や意識が重要になってくると思います。
 戦争という悲劇を二度と繰り返さないためにも私たちが、平和を自ら育み、戦争、争いを避ける努力をしなければなりません。
 将来、私は社会科の教員として教壇に立ちたいと思っています。教育を通じて、戦争の惨禍を後世に語り継ぎ若い世代に平和の大切さを伝え続けていきたいと思います。
 誰もが笑顔で当たり前の日常を享受できる平和な社会を築くために、ここに責任をもって平和のバトンをつないでいくことを約束いたします。


                     令和5年11月15日    
                     長野大学社会福祉学部4年 岡田 輝
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