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平成25年度卒業式 卒業生代表挨拶(卒業生のことば)

環境ツーリズム学部 森泉 亜弓

 私は二年次編入で長野大学に入学し、家族、先生方や職員の皆様、友人など多くの方々に支えられて三年間の大学生活を送ることが出来ました。その中で、私がチャレンジしたことをお話ししたいと思います。
 三年生の時には、学生の代表である学生自治会執行委員会委員長として、私たち学生がより良い大学生活を送ることが出来るよう、様々な活動を行ってきました。この活動の中で、学生の声がもっと反映されるような取組みを行う必要があると考えました。そこで、全学生を対象としたアンケートの回数を、従来よりも増やす取組みを行いました。主に学内での喫煙マナーに関するアンケートや、長野大学創立五十周年記念事業についてのアンケートを実施しました。これらのアンケートの回答者は残念ながら全学生には程遠く、今後の課題がありますが、学生の意見を取りまとめて大学に伝えるという、本来の学生自治会の在り方を後輩に示すことが出来たと思います。
 ゼミナールでは、入学以前から希望していた、大手鉄道会社と協力して観光イベントを企画する「駅からハイキング」の活動に携わりました。三年生では西上田駅からの観光コースの考案やイベントの企画を行い、参加者の皆様に、手作りのパウンドケーキをお配りしました。四年生では、信濃国分寺駅からの観光コースの考案や、メンバーが真田十勇士にちなんだ長大十勇士に扮して観光ガイドを行うなどの取組みをしました。
 また、同じゼミナールの友人を中心として、上田駅周辺の学生向け飲食店を紹介するパンフレットの製作を行いました。実際に上田駅周辺の飲食店を回り、取材や編集なども自分達で行いました。これらの活動によって、上田地域の観光や地域の情報発信について学ぶことが出来ました。そして二〇十六年のNHK大河ドラマが、上田地域にゆかりのある真田幸村を主人公とした『真田丸』に決定したこともあり、かねてから興味を持っていた、映画やドラマなどのロケ地を訪ねる観光と上田地域の取組みについて調べ、卒業論文を執筆しました。卒業論文の執筆は大学での学びの集大成で、大きな挑戦でもありました。
 このように、大学生活で様々な活動にチャレンジした経験が、就職活動で自分の積極性と企画力をアピールする上で役に立ったと思っています。
 これまでの人生で、私は様々なことに積極的にチャレンジするような性格ではありませんでした。しかし大学生活の中で、私はこのように、自ら積極的に挑戦することができるようになりました。これは家族や先生方、友人など、私に関わるすべての方々のおかげだと思っております。この場を借りて感謝申し上げます。この感謝の心を忘れずに、社会に出てからもより充実した仕事が出来るよう、積極的にチャレンジしていきたいと思います。ありがとうございました。

企業情報学部 土屋 星史

 私が長野大学に入学して早四年の歳月が経ちました。今でも入学した時の事や、思いを鮮明に覚えています。これから始まる大学生活に、期待や不安を抱きながらも、自分達の将来への一歩を進もうとしていました。四年間という時間は、身体だけでなく、精神面も成長し、大人になったと感じています。
 振り返ってみると、この四年間で様々なことを学び、経験をしてきました。その中で私が特に力を入れてきたのがゼミナールです。私は森俊也ゼミナールに所属し、三年次にはゼミナール長として、ゼミナールの運営を行ってきました。大所帯なゼミだけにまとめるのに苦労しましたが、そこでは、自然と先輩、後輩との関わり方や、物には残らない大切なことを学び、得ることができました。どんな時でも隣には友人がいて、他愛のない話をしたり、悩みの相談をしたり、ご飯を食べにいったりと、かけがえのない存在でした。さらに、私達にとって大きな存在だったのが森先生です。ゼミナールを引っぱっていくだけでなく、つねに学生のことを気にかけ、何かあった時には頼りになり、悩みなども親身になって相談に乗ってくださり、私達にとってとても助けになりました。
 そして、この大学生活で得られたことを、早速生かす機会がありました。それは就職活動です。就職活動ではいくつかの企業から内定を頂き、将来のことを考え、進路を決めました。就職活動が終わってみると、森ゼミナールで学んできた、相手の気持ちを考えること、メモをとること、反応することなどが生きていたと感じました。就職活動をする上でいろいろな所へ行き、さまざまな物を見て、今までにない経験をし、自分という人間を見つめ直し、将来について考える良い機会となりました。しかし、就職がゴールではありません。大学生活で学んできたことを、就職先で生かしたいと思います。
 私は大学生活四年間で、自分でもわかるほど成長できたと感じています。これまでの私だったら、ゼミナール長として大所帯のゼミをまとめることはできなかったでしょう。ましてや、このように卒業生代表として壇上に立ち、卒業生代表として挨拶をしているなんて、入学当時の私では想像もつかなかったでしょう。これほどまでに成長できたのは、単に私の努力以上に、共に頑張ってきた友人や、支えてくれた先生方がいたからこそだと思います。
 特に、森先生には個性の強い私達を無事卒業まで導いてくださり、大変感謝しております。
 最後に、これまで育ててくれた両親や友人、先生方に感謝を込めて、「ありがとうございました。」と述べさせて頂きます。

社会福祉学部 遠藤 智博

 私が長野大学を知ったのは、高校三年の受験シーズンが始まった頃でした。山梨県で育った私は、都会の大学にあこがれをもっていましたが、縁があってこの大学に入学しました。入学してみると、とても居心地の良い大学でした。勉強やサークル活動、友人関係、どれも、この環境が程よく私を包みこんでくれました。
 その学生生活の中で、印象に残っている活動のひとつは、ぴあメンターの活動です。ぴあメンターには、オープンキャンパスに参加してくれた高校生の皆さんに、長野大学の良さを伝えるという大きな役割があります。他にもぴあメンターは、はじめて訪れる大学で不安に思っている高校生を、様々な形でサポートしていくという役割もあります。そのなかで、私は、参加者の皆さんの質問に応えたり、一緒にレクリエーションをしたり、多くの未来の後輩たちと接する機会がありました。このことから、自分の思いや考えを人に伝えることの難しさとやりがいを感じ、充実した経験をしました。
 また、準備のときやオープンキャンパス当日に周囲を見渡してみると、オープンキャンパスに関る学生や教職員が、さまざまなところで作業や打ち合わせをしている光景をよく目にしました。私はこのことから、協力する大切さを知ったと同時に、「こういうことがオープンキャンパスの成功に繋がっているのだな」と思いました。
 社会福祉学部での学びも忘れられません。授業や実習、ボランティア等を通して多くの人と関わりを持ち、様々なことを教えられました。利用者を理解しようといわれますが簡単ではありません。人の気持ちに寄り添うことの大切さを学びましたが、まだ自信はありません。
 しかし、もう卒業の時です。私は卒業をして金融関係の職に付きますが、今後も、長野大学で学んだことを活かし、周囲の人やお客様の気持ちを大切にして、仕事をしていこうと考えています。
 最後に、先生方、職員の方々、後輩の皆様、アパ-トの大家さんをはじめとする地域の皆様、私達学生を迎え入れていただき、そして育てていただき、本当にありがとうございました。この気持ちを忘れる事はありません。そして、ゼミやサークル活動などで共に頑張った仲間にも、大変感謝しています。みんな、ありがとう。社会人になっても、この大学で関わってきたみなさんへの思いと、長野大学卒業生という誇りを胸に頑張っていきたいと思います。四年間、ありがとうございました。

環境ツーリズム学部 工藤 伸也

 私は青森県の高校から長野大学環境ツーリズム学部へと進学し、今日、卒業します。私には長野大学に進学するにあたり、三つのチャレンジミッションがありました。ひとつ目は多くの人をまとめる存在になりたいという事。二つ目は多くの友人に囲まれる人気者になりたいという事。三つ目は「情熱大陸」に出演する事です。
 ひとつ目のチャレンジについては、三年次に「ぴあメンター」のリーダーを務めることで達成はできたものの、終始うまくいったとは言えなかったと思います。ここにいる卒業生のみなさんの中にも、私と共にぴあメンターの活動をし、価値感の違いから、時にはぶつかり合うことがあったと思います。しかし、ぴあメンターの活動を終えた今、私は心から「楽しかった」と言いたい。他人を思いやり、リーダーとして多くの人をまとめる難しさとやりがいを、自分の物にすることができました。そうなれたのも、みなさんの支えがあったからだと感謝しています。
 次に、人気者になるチャレンジについてですが、正直、私にはなれたかどうかはわかりません。ですが、学部学年を超えた多くの友人を得た事は確かです。企業情報の友人はオープンキャンパスの休み時間、私のくだらないコントに付き合ってくれ、楽しい時間をすごしてくれました。社会福祉学部の友人には「スノーボード」や「海」などに連れて行ってもらい、この場では言えない、意味不明なあだ名をつけてくれましたね。そんなあなたたちが、私が風邪をひいた時に、お見舞いに来てくれた事は感謝してもしきれません。ありがとう。環境ツーリズム学部の友人とは多くの時間を使い、様々な場所に行きました。一番長く一緒にいたからこそ、私はあなたたちの悪い面も良い面も知っています。逆にあなたたちは私の悪い面、良い面を知っている事でしょう。あなたたちと出会えたことが私の大学生活一番の財産です
 三つ目のチャレンジは、いつか「情熱大陸」にでるような立派な男になることですが、そのためにしっかり勉強をしました。昔から、環境問題について興味を持っており、何か私にできる事はないか、環境を対象とした仕事を探したいと思っていました。高橋一秋ゼミナールに所属し、四年間学業に励み、その中で、「環境教育」という分野を知ることができました。私は先生の指導を受けて「ツリーハウス」というテーマのもと、環境教育プログラムを開発し、四年次には見事、恵みの森にツリーハウスを作成することができました。これらの経験と知識を就職先である「トヨタ白川郷自然学校」の仕事に活かしていきたいと思います。これを進めていけば、「情熱大陸」にでることも夢ではないと思います。
 最後に、私をここまで育ててくださった、お父さん、お母さん。私は今日、大学を卒業し、社会人になります。青森から長野へ行こうとする息子の決断を、最初は驚いたことでしょう。しかし、そんな私を「自分の人生だから好きに生きろ」と送り出してくれた二人には感謝しています。私は社会の歯車になるだけでなく、一つのモーターとして社会を動かす存在となり、いつか自慢したくなるような息子になってみせます。それまで、長生きをして見守ってください。

社会福祉学 栁澤 歩

 長野大学での四年間の学生生活が、いよいよ終わりを迎えることになりました。長くもあり短くもありました。こうして、長大の誇り高き仲間の一人になり得たことに満足しています。
 私は、必要なことをここで学び得ることができました。「人間は、社会をつくって生きている。社会とは支えあう仕組み」ということを知りました。だから「他人の痛み」を感じとり「いたわり」、「優しさ」へと繋げていくことが大切であるということを。さらに私個人のことでいうならば、このようなことを理解し、実践できる「新しい若者」になるために、資格取得の国家試験に向けて、大勢の仲間たちや教職員の皆様に迷惑をかけながら、朝から晩まで勉強に励みました。こんなに勉強をしたことは初めてでした。しかし「諦めなければ夢を叶えられる」という言葉を胸に、友人たちと支えあい、励ましあいながら乗り越えることができたことに感謝しています。ありがとう。
 もう一つ、四年間続けてきたオープンキャンパスでの活動は、大学に期待を寄せて訪れる高校生の視点に立ちながら企画し、多くのスタッフがよりスムーズに行動できるよう、運営状況を把握するという二つの視点が必須となるミッションの継続でした。的確に伝えるための「言葉使いや態度」を養うよい機会となりました。学年が進むにつれて、その立場はより重要なものとなっていき、ときに潰れそうになることが多々ありました。そんなときも、私を支えてくれる最高の仲間や、教職員の皆様の力に支えられながら乗り越えることができました。私にとってこの活動は、私の欠点であったものを「創造性」、「行動力」へと転換させる良い機会ともなりました。協力していただいた皆様、ありがとうございます。
 さて先日、卒業の記念にということで数名の友人たちと京都に行きました。そこでのことです。銀閣寺に向かうバスに、私たちは、これも数名の小学生の生徒たちと一緒に乗ることになりました。銀閣寺の門前で彼らと一緒におりましたが、一人の小学生が大切にしていた学習ノートを忘れて降りてしまったのです。それに気づいた私の友人は、急いで追いかけて、その小学生にノートを届けました。何気ない僅かな時間のことでしたが、ノートがなかったら小学生はどんなに困ったことでしょう。誰にも相談することなく「他人の痛みを感じとる」ことを瞬時に判断する。簡単なことですが「当たり前なことをさりげなく行動する。」、長大生として培った力が発揮されているように感じ、心の中の美しいものを見たような気がしました。そしてその後、何もなかったかのようにフライドチキンを頬張る友人の姿を、頼もしくも誇りに思いました。
 最後になりましたが、両親家族にはこの四年間心配をかけ、ときには傷つけてしまったときもありました。しかし、決してそんな私を見捨てるのではなく、全てを受け入れ、支えてくださった両親家族に感謝しています。本当にありがとうございました。心から感謝しています。
 これから新たなスタートラインに立ちます。大学で学んだことを大切に、力強く、たくましく歩み続けたいと思います。皆様、ありがとうございました。

企業情報学部 ペク ユラン

 四年前の入学と同時に、日本での生活が始まりました。あっという間の四年間でしたが、私にとって楽しい思い出や貴重な経験で溢れています。先生方、職員の皆様、友人たち、先輩方、後輩の皆様、いつも見守ってくれた私の家族、これまで支えて下さった、全ての方々に深く感謝致します。この大学でたくさんの人々に出会えたことは、私にとって宝物です。本日、皆様のお陰で卒業式を迎えることができました。
 私が高校一年生の冬に、福岡へ行ったことがあります。日本へ初めて行ったときでした。そのとき、日本人の生活文化から、日本の実用的なデザインに関心を持つようになりました。美しさだけではなく、実用性を高めたデザインが、とても魅力的だと思いました。芸術性を重視する韓国に比べて、日本は実用性を重視していると感じました。
 私は美術が好きで、美術系高校に進学したかったのですが、一般高校に進学して、将来のことについて悩んでいました。その時、私が通っていた高校と長野大学が協定校関係を結んだことをきっかけに、デザインや情報、経営を学ぶことができる長野大学の企業情報学部を知ることができました。高校一年生の時に抱いた日本の魅力と、以前から悩んでいたデザインへの思いを叶えるべく、長野大学で学びたいという気持ちが強くなりました。
 高校三年生の一年間、日本語を勉強し、卒業してすぐ日本へ来ました。私が日本に来た年に東日本大震災がありました。そのため、日本への出国が延びるようになり、周りからは留学を止められましたが、私は日本への留学を硬く決めていました。いつも私を応援してくれる親は、自分の夢に向かって挑戦してみなさいと言って、私をサポートしてくれました。
 私は、将来デザイン系の会社を設立するという夢を持って入学しました。企業情報学部でデザインと経営を学ぶと同時に、自分の夢に向かって基礎を作り上げることができました。
 大学での様々な活動を通して学んだことは、「目に見えないことが重要」ということです。私の担当教員である禹先生は、つねに「デザインする前に思いやりの心、おもてなしの心を持つこと」を強調しました。それから、私は目に見えないことを形にしたいと思いました。そのため、ゼミ活動で行った「鹿教湯温泉地区デザインプロジェクト」では、地域資源の再発見、再認識の研究を、また、大学の夢チャレンジ制度を通して、長野大学のアイデンティティを「形」にするため、大学の歴史年表を作りました。
 卒業後は、大学で学んだデザイン力をより深めるため、千葉大学大学院に研究生として進学する予定です。将来、私は世界の人たちに癒やしを与える人になりたいです。日本への留学は、この夢の基盤になっています。さらに、長野大学での生活を通して夢に対する心が強くなり、夢に一歩近づいたと思います。今後は韓国と日本を超え、アメリカやヨーロッパなど世界を回り、視野を広げたいと思います。そして思いやりの心、おもてなしの心を持っている、心のデザイナーになりたいです。


 最後になりますが、私たち六人を含めた卒業生全員は、長野大学の学生として本日ここにあるのも、ひとえに諸先生方や職員の皆様のお力添え、陰ながら支えて下さった地域の皆様、そして家族のおかげであると思っております。くりかえしになりますが、皆様方に卒業生一同、厚くお礼申し上げます。私たち卒業生一同は、長野大学で学び得たことを誇りに思います。後輩の皆様と、長野大学の一層の発展をお祈り申し上げ、卒業生代表の言葉とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。