グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



ホーム  > ニュース&トピックス  > 平成24年度卒業式 卒業生代表挨拶(卒業生のことば)

平成24年度卒業式 卒業生代表挨拶(卒業生のことば)

企業情報学部 金 主榮(キム ジュヨン)

 母国を離れ、色んな心配や不安をもってこの上田に来たのが、もう4年前のことになりました。
高校の時から私は、韓国だけではなく、他の国へ行って世界の広さを感じ、さらに多くのことを身に着けたいという思いで、日本での留学を決心し、長野大学へ入学しました。
 最初、上田の豊かな自然と素晴らしい景観にうっとりとなり、ここでの生活にとても期待がもてました。しかし、言葉も文化も違うこの日本での生活の中で、私は大きな壁に何回もぶつかりました。足りない日本語の実力で、自分の考えや心の話を素直に伝えるのが難しく、その中でコミュニケーションの失敗を何回も経験しました。日本の礼儀や話し方は、韓国のそのことと大分違って、知らないうちに、無礼なことを致したこともありました。だんだん、自信を失っていた私に、大学の先生たちや学生支援課の方々はいつも親切に励ましてくださいました。また通っていた教会の方々からも、様々形で支援していただきました。色んな所からの励ましで、私はもう1度、力を出し始めました。そして、この励ましに何とか報いたいと思いました。
 上田での初めての冬が近づいていたころ、私は、学生支援課から留学生クリスマスパーティのとき、韓国人留学生からの出し物の企画を提案されました。そのとき自分たちにできることは、足りない実力の楽器の演奏と歌を歌うことだけでしたが、このことを通して、我々の感謝の気持ちを少しでも分かち合えればと思い、皆に力を与える内容のJポップや、お互いを祝福するゴスペルなどの歌で、心を込めて歌い始めるようになりました。
 このことをきっかけとし、韓国文化交流サークルの「ウリ」が誕生しました。ハングル講座や料理での交流をはじめ、主に歌を通した心の交流をし始めました。 大学内だけではなく、大学の外でも歌の力は大きかったです。大学祭の宣伝のためアリオで歌ったとき、また塩田とっこ館と城南公民館で歌ったときには、上田の多くの市民の方々と、歌を通して心の交わりをしました。また、社会福祉法人の小諸学舎では、障害者の方々とも歌を通して交流しました。
聞く方々だけではなく、歌っている私の心にも、歌を歌うたびに慰めと励まし、そして勇気が湧きました。このようなことが原動力となり、私は卒業後、日本の国立千葉大学大学院という新しい舞台への一歩を踏み出すことができました。
 長野大学でのこの四年間、私は歌を通して多くの方々と交わらせていただきました。それはどんな言葉や話よりも温かく、深い、コミュニケーションでした。コミュニケーションにおいて何よりも大事なことは、「心」であることがわかるように、私を支えてくださった大学の、また教会と上田の皆さんに、そして神様に、心から感謝の言葉を申し上げます。

環境ツーリズム学部 芳池 夢穂

 長野大学に入学して、早くも四年が経ってしまいました。そう感じるのは、大学で過ごした毎日が楽しく・充実していたからだと思います。
 私は、「将来、ホテル業や観光業に携わりたい」という中学生の頃からの夢を叶えたいと思い、長野大学へ入学をしました。入学当初は、履修登録のやり方が理解できず苦労し、大学で過ごす一日は、登録に沿って講義を受けるのが精一杯の毎日でした。そんな中でも、興味があった観光学の講義では、それまで知らなかった観光の歴史や、サービスを与える側の立場から考える観光、観光と地域の繋がり等を学ぶことができ、観光学の奥深さと、私自身の知識が増える事の喜びを実感することが出来ました。
 また、この学部の特徴でもある、体験的に「環境に配慮した観光まちづくり」を学ぶ中で、たくさんの貴重な経験もさせてもらいました。特に印象に残っているのは、観光分野のゼミに所属する六人で『上田のいいとこ伝え隊』を結成し、企画から運営まで行ったJR東日本とのコラボレーション企画『駅からハイキング』です。これは、駅を拠点に地域のおすすめスポットを歩きながら回るイベントで、コース内容はもちろん、立ち寄りポイントを考えることや、実施する時期を決めること等、私たちにとって全て初めての挑戦でした。当日まで何度もメンバーで集まり、どうやったら参加者に喜んでもらえるものになるのかを話し合いました。特に、配布するマップに関すること、当日スタッフの配置に関することに時間をかけ、メンバー全員が参加者の立場になって考えていることが伝わってきました。イベント当日は、終了するまで参加者にどのような反応をされるのか不安でしたが、「とても楽しかった」と笑顔でゴールされる参加者の顔を見ることができ、その時初めて、やって良かったと思いました。一緒に活動をしてきた仲間と1つのことをやり遂げることができ、とても満足しています。
 大学生活では、毎日楽しいことばかりではなく、辛いことや苦しいこともありました。3年生の時には、頼りない私がサークルの部長を任されました。任されたものの、部長らしい仕事もちゃんと出来ず、サークルを辞めたいと何度も思いました。それでも、辞めずに続けられたのは、相談に乗ってくれる顧問の職員さんや友達の存在、頼もしい後輩がいてくれたお蔭です。四年生では、長い就職活動に苦しみました。久保木先生、キャリアサポート課の方々には、就職先が決まるまで何度も相談に乗ってもらいました。決まった時には自分のことのように喜んで頂きました。友達とは、就職活動の苦しみを分かち合い、共に励まし合いながら進めることで、前を向いて頑張り抜くことが出来ました。1つの夢をつかむために、たくさんの人の力をお借りしました。ありがとうございました。
 今振り返ってみると、私は毎日、1度は必ず笑っていたような気がします。毎日笑って過ごせたのは、時には先生、時には職員の方々、時には友達・・・。たくさんの人に出会い、支えられたからだと思います。出会えたことに感謝し、大学でつくった思い出の数々をこれから先も大切にしていきたいと思います。

企業情報学部 斉藤 秀和

 長野大学で過ごした4年間が今日で終わろうとしています。1年の秋頃、ある友人がこんなことを言っていました。「もう半年終わっちゃった。あと3年半しかないよ。」と。当時はまだ半年しか経っていない、あと3年半もあると思っていましたが、彼のいう通り、かけがえのない時間というのは、あっという間に過ぎて行きました。
 ゼミ活動やオープンキャンパスのスタッフ活動などこの4年間は毎日が楽しく、充実していました。ゼミでは経営学を専攻していました。意見がまとまらなかったり、良い案が浮かばず、徹夜で作業することも多々ありました。また報告大会長という全体のまとめも任され、その責任の重圧に潰されそうになり、「もうやりたくない」と挫折しそうになったことが何度もありました。しかしそんな時でも支えてくれる人たちがいました。いつでも明るく振る舞い場を盛り上げてくれる人、しっかり周りのことを考えてくれる人、そして何よりもどんな時でも味方になって助けてくれる先生。当たり前のように過ごしていましたが、多くの支えがあってこそだと感じました。
 オープンキャンパスでは学部・学年に問わずたくさんの人に出会い、自分としても大きく成長できた場だと思います。高校生に楽しんでもらおう、少しでも大学に関心を持ってもらおうと目標を掲げ取り組んできました。私がこの活動に加わったのは3年からで少し遅めだったため、同学年の人たちに早く追いつかないと、という焦りと、それでも後輩を引っ張っていかなければならないという責任と不安でいっぱいでした。しかしこの時も仲間たちに助けてもらいました。機転の効く頼りになる人、普段はお調子者でも当日になると別人のように振る舞う人。そんな仲間たちとたくさん遊び、たくさん笑い、時には悩んだり熱く語ったり・・・。様々な場面を共に過ごしたことで本当の友情を手に入れることができました。
 最後となりますが、改めてこの四年間を振り返ってみると多くの人に支えられていたのだと実感しました。友人、先輩、後輩、職員や教員の方々、そして家族。こんなに大勢の人に支えられていたことを幸せに思います。本当に、本当にありがとうございました。

環境ツーリズム学部 久住 健太

 長野大学に入学してからはや4年が経ち、今日で4年間の大学生活が終わろうとしています。
私は「観光について学んでみたい」「一人暮らしを経験したい」、という今振り返るととても未熟な考えで、長野大学を受験し、これといった信念もないまま大学生活を迎えました。そんな折に入ったのが、生協学生委員会スタッフあんずです。当初は、あんずの存在意義や活動目的も完全に理解しないまま、ただ実施される企画をこなしているという感覚でしかなく、活動にやりがいを見出せない日々を繰り返していました。しかし、こうして四年間を振り返ると、あんずに関わっていた時間が1番長かったことに気付かされます。苦労の連続であったあんずでしたが、引退して卒業を迎える今、本当にいい経験ができたと振り返ることができます。企画直前、毎晩遅くまで残った日々、ひとつひとつとことんまで話し合った部会、企画実施後に行った何度やっても中々次に活かされない反省会、どれもこれもすべていい思い出です。
委員長を務めるようになり、壁にぶつかったこともありました。「友100」など大きな企画が目前に迫っているにもかかわらず、自分の思いが伝わっていないのか下手なのか、委員のモチベーションが上がらなかったり、1人で進めてしまった方が楽だし勝手にやってしまおうと、苛立ちがつのり、投げ出したくなったこともあります。後輩への引き継ぎにあたっても、自分の思いは伝わっているだろうか、もっとこうした方がよかっただろうかと思うことばかりでした。上手くいかないことからの仲間とのぶつかり合い、熱意が思うように伝わらない後輩たち、そして委員長として未熟な自分自身、委員長を務めた1年間は特に試行錯誤の連続でした。しかし、そうした全てが私を成長させてくれました。
そして、それらの経験は、私の大きな自信になりました。就職活動を無事終えることができ、今胸を張ってこの場に立てているのも、そのおかげです。私はもともと公務員志望でしたが、最終的に地元の企業へ進む決断をしました。これほどまでに自分自身と向き合ったことはありません、今でもその選択が正しかったのか、不安になることがよくあります。そんな自分の支えになっているのが、長野大学で積んできた経験です。
 将来への期待と不安の入り混じるこの時期、お世話になった三田育雄先生の言葉が思い出されます。「経験に勝るものはない」。当たり前のようですが、その言葉は、私にとっては、とても大きな心の支えです。「どこの大学を出たかではなく、その大学で何を経験したか」、やっとこの意味が分かった気がします。私はこの言葉、大学で積んだ経験を胸に、社会に出ても前に進み続けます。一歩踏み出して、挑戦していく気持ちを大切にします。
 今日卒業式をむかえ、改めて長野大学に決めて良かったと心の底から思います。最後になりますが、私以上に私のことを理解してくれた仲間、未熟な私についてきてくれた後輩たち、そして、様々な場面で支えて下さった教職員の皆様に心から感謝いたします。皆様のおかげで、長野大学での四年間は、かけがえのない大切なものとなりました。ありがとうございました。

社会福祉学部 横山 弘樹

 長野大学での学生生活もいよいよ終わりを迎えようとしています。よく、「大学生活の4年間は非常に短い」と周りの人達から言われてきました。入学したばかりの頃は、「そうは言っても4年は長いだろう」と思っていましたが、今は周りの人達の言葉通りだったと実感しています。その限られた時間の中で、友人たちとサークルを立ち上げたり、オープンキャンパスのスタッフとして活動したりと、充実した時間を過ごすことができました。中でも力を注いだのは、社会福祉士国家試験の勉強です。
 私は母が自宅で曾祖母の介護をしているのを見ていたことがきっかけで福祉を学ぼうと思い、長野大学に入学しました。福祉を学ぶ中で地域福祉に興味を持ち、相談援助実習では地元の社会福祉協議会で実習を行うことで、地域に貢献できる社会福祉士になろうという思いが強くなりました。
 国家試験の勉強は、遅まきながら4年の後期から本格的に開始しました。まず、勉強の習慣をつけることや生活サイクルを正しくするなど、基本的なことから始めました。しかし、これまで面倒なことから逃げてきた私にとって、継続して机に向かうことは簡単ではありませんでした。また、今だから言えますが、周りからの期待と、自分の実力との差をずっと感じており、頼る自分よりも頼られる自分でいなければならないというプレッシャーを、勝手に感じていました。そのため、国家試験の勉強でも、そういう自分でいなければならないと思い込んでおり、友人達と一緒に勉強することに正直前向きになれませんでした。
 しかし、そんな中で常に私を支えてくれたものは、他でもない友人達でした。集中できないときは皆で問題を出し合ったり、解らない問題は聞き合ったりと、自然に頼り合うことができました。その他にも、先生方や先輩を中心に様々な人達の支えの下、国家試験まで勉強を続けることができました。国家試験が終わったときに、友人が「皆がいなかったらここまで勉強できなかった」と言ってくれましたが、私のほうこそ、「皆がいてくれてよかった」と、心の底から思っています。是非、後輩の皆さんにも、素晴らしい仲間と共に私の後につづき国家試験を乗り越えてほしいと願っています。
最後になりますが、この4年間、両親を始めたくさんの人達のお陰で、素晴らしい学生生活を送ることができました。感謝してもしきれません。この想いを胸に秘め、これからの人生をしっかりと歩んでいきたいと思います。

社会福祉学部 松岡 靖香

 月日が過ぎるのはとても早く、今日卒業を迎えようとしています。私たちが入学する年、長野大学では「強化指定部」として、女子バスケ部、女子バレー部、アーチェリー部が指定されました。幼い頃から10年間続けてきたバスケットボールを、大学でも続けたいという思いからインカレを目指せる長野大学に入学しました。仲間と共に支え合い、ぶつかりあい、日々の辛い練習を乗り越え、振り返れば「部活」一色の4年間を過ごしてきました。
 入学当初は、今までと違った生活に慣れることがとても大変でした。毎日夜6時から10時までの4時間練習、土日の9時半から14時近くまで行う長めの半日練習、まだ走るの??と思うほどのランメニューの数々。身も心もついていくのに精一杯でした。学年が上がるにつれ慣れてはきましたが、4年間きつくない日はなかったです。しかし今では、同期と笑い話に変えられる良い思いでとなっています。
 私たちは、1つ上に先輩がいなかったため、3年次には自分たちの代となりました。頼れる先輩も引退し不安がある中、「次のキャプテンはお前だ」と先生から告げられ一気に不安が増しました。やはり、最初はミスも多く、周りの仲間とも衝突することが多々ありました。しかしチームを引っ張っていく責任と最高のチームにしたいという自覚を持ち、人一倍大きな声を出して練習を盛り上げることで、次第にチームの覇気も上がっていくことを感じました。仲間の支えもありチームワークが築け、新チームとして始めての公式戦では、長野大学初一部に昇格することができました。チーム一丸となって戦いぬき、先輩の力ではなく自分たちの代で勝利することができたのは、本当に嬉しかったです。
 そんな3年次の夏。私にとって最悪なことが起きました。左膝前十字靭帯断裂。始めての大怪我でした。医者から「もうバスケはできないよ」と診断された日、涙を隠しきれずそのまま泣き崩れました。すべてが絶望的でした。マネージャーになるか、部活を辞めるか。その日は自分との葛藤でした。しかし、帰り際の佐土先生の言葉、「前向きにだけ考えろ」。家に帰ってからの親の言葉、「足は絶対に治る」。この言葉たちを聞き、今まで頑張ってきたこと、夢を追い続けてきたこと、まだ目標に向かって走りつづけている途中であることを思い出しました。私の心の中にある「もう一度バスケがしたい」「コートに立ちたい」という強い想いは消せずにいることに改めて気付いたのです。この時、手術をし、選手として必ず復帰をすると決断しました。リハビリ期間は長く、4年次最後の試合に間に合うかどうかでしたが、目標を決めリハビリに励みました。しかし、リハビリ生活は想像を絶するもので、走るどころかまともに歩くこともできないと思うほどでした。焦り、苛立ち、悔しさ。部活中にこらえた涙は、帰宅後にひとり部屋で流しました。また、怪我をしたことでチームや先生方には多大なる迷惑をかけてしまいました。そんな心が折れる毎日でしたが、私を応援し続けてくれた人は沢山いました。周りの方々がフォローし、支えてくれたおかげで逃げずに頑張り続けることができたのです。その結果、もう一度コートに立ちプレーすることができました。この上ないくらい嬉しかったです。今まで我慢してきてよかった。みんなと最後にコートに立つことができてよかった。この感動は一生忘れることはないでしょう。
 この4年間、一日一日が濃い時間だったと感じます。喜びや楽しかったことは当然、挫折や苦しみなど様々な経験ができたことは、また一つ大きく成長し強くなれたと思います。卒業後、社会人としての新たな道を歩むことになりますが、大学生活で培った強さを持ち、明るく元気に歩んでいきたいと思います。
 私は、本当にたくさんの方々に支えられてきました。親身になってバスケの指導はもちろん、常にけがの心配をしてサポートしてくれた佐土先生、部活や保険のことなど様々な手続きをしてくれた支援課の方々、応援してくれた先生方、元気付けてくれる先輩や後輩、学内で楽しく笑わせてくれる大学の友人、常に一緒にいて追い風をくれた同年代の仲間、そして1番の理解者である家族。私に関わってくれた人全員が心の支えでした。この場をお借りして感謝の気持ちを伝えたいと思います。みなさま、4年間本当にありがとうございました。





 最後になりますが、これまで支えて下さった皆様に、卒業生一同、改めてお礼申し上げます。
 そして、後輩の皆様と、長野大学の一層の発展をお祈り申し上げ、卒業生代表の言葉とさせていただきます。
 本日は誠にありがとうございました。