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平成26年度卒業式 野原光学長告辞

 本日、ここにお集まりの社会福祉学部108名、環境ツーリズム学部47名、企業情報学部73名、計228名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。大学の教職員と役員一同、心よりお祝い申し上げます。またお忙しい中、多くのご来賓の方々のご臨席を賜り、厚く御礼申し上げます。そしてこの若者達を、この厳しい経済・社会環境の中で、苦労して育ててこられた御父母の胸には万感の思いが去来していることと、ご推察申し上げます。
 振り返ると、今年の卒業生たちとも、実に様々な出会いがありました。
 君たちが1年生の後期に、「原子力発電と『もののけ姫』」をテーマにゼミナールで一緒に勉強しました。4回目か5回目頃のゼミの冒頭、なんだか、いつもと雰囲気が違っていましたが、知らんぷりをして「さあ、始めようか」といいました。ところが前期の森先生の和気あいあいのゼミの悪い影響を受けた4人の学生が、決死の表情で、「先生、話がある」と言い始めました。
 「おう、何だ、どうした」と応ずると、「こんなのゼミじゃない」といいだしたのです。ゼミというのは、ある共通のテーマについて、学生同士が討論して、グループ毎に結論を出し、それを持ち寄って全体で討論し、ひとつの共通の結論を出す、そういうものだそうです。ところが、野原ゼミでは、学生同士じゃなくて、すぐ学生と先生の討論になってしまう。しかもいつまで経っても共通の結論に到達しない。「こんなのゼミじゃない」というわけです。
 内心で「面倒くさいことになったな」と思いながら議論に応じつつ、僕にはひとつの目算がありました。しょっちゅう研究室に遊びに来ていた、森ゼミの悪影響を受けていない別の学生から、反撃があるに違いないと期待していたのです。ところがこの学生が、肝心のときに、こともあろうに、「これじゃあ、一対一の家庭教師だ」と叫んだのです。とどめの一撃でした。やむなく、「分かった、好きなようにやっていい」と降参しました。
 半年のゼミが終わったあとで、反乱分子のひとりに、「どうだ、あのあと、ゼミは変わったか」と訊いてみました。
彼の云うには、「変わらなかった」。
僕の曰く、「えっ、変わらなかったら、言わなきゃ駄目じゃないか」。
彼の曰く、「言っても無駄だと思った。先生は確かに人の話は聴く、でも話は聴いても変わらない」
僕は応じて、「馬鹿言え、聴いたって、納得できなきゃ変わりようがないんだ。変わらないんなら、僕が納得するまで、説明しなきゃ駄目じゃないか」。
彼の言うには、「先生そりゃ無理だ。俺たちは先生がおかしいということまでは分かるんだが、どこがどうおかしいかなんて、うまく先生に説明出来るわけがない。俺たち自身も先生のどこがどうおかしいかなんてはっきり分かっているわけじゃないんだから」。
 これには感心しました。学生に分かっていることと分かっていないこと、学生の役割と教師の役割、こうした点を、混乱と暗中模索の渦中にありながら、この学生が実に正確に言い当てていると思ったからです。
 このゼミには別のエピソードもありました。学生反乱のしばらくあとのゼミのとき、学生同士のサブグループが、予定の時間をはるかに過ぎているのに、いつまで経っても結論を出しません。僕には、だらだらとじゃれ合っているように見えました。とうとうしびれを切らして、「おい、一体いつまでやっているんだよ、いい加減に纏めろよ」と言ったのです。そうしたら、ひとつのサブグループのとりまとめ役をやっていた男が、顔を真っ赤にして、「先生、どうしてそんなにせかせるんですか、いま纏めようとしているじゃないですか」と怒鳴って、机をげんこつでどんとたたいたのです。これには、ノートテイカーで同席していただいていた二人のご婦人も目を丸くしておられました。
 このあと、学生食堂で会うたびに、この男にさんざん言ってやりました。「おまえなあ、教師が学生に怒鳴るというのはよく聞く話だけどなあ、学生が教師を怒鳴りつけるというのは、ほとんど聞いたことがないよなあ」。あまりにしつこく僕が繰り返すので、「まいったなあ。先生、もう勘弁してくださいよ」と、この男はすっかり閉口していました。
 今年の卒業生には思い出が尽きません。2年生の春休みに二人の女子学生と、アメリカの政治哲学者ハンナ・アーレントの『イエルサレムのアイヒマン』と言う難解な書物を読み切りました。これは、ナチスのユダヤ人虐殺は、例外的な悪魔集団が引き起こしたものではなく、ひとが、システムの行動の大きな目的を不問に付したままで、システムの一翼を忠実に誠実に担う時に、誰でもが犯しうる人類に対する犯罪である、ということを明らかにした、極めて論争的な書物です。ひとりは、この本を拡大コピーして、赤と黄色と緑の3本のマーカーで傍線を引き、書き込みをしながら、考え込みながら、一緒に何とか読み切りました。この学生は、後に見事な卒論を書きました。
 もっともこの学生には、その後、ちょっとしたいたずらをしたら、すっかりおこられて、「もう先生は構ってあげない」と引導を渡されてしまいました。そういえば、彼女と他の何人かの学生と、苦労して、丸山真男の『日本の思想』を読み、日本人の思考様式について考え続けたことも大切な思い出です。
 こうして、走馬燈のように過ぎ去った日々を思い起こしてみると、君たちと僕は、曲がりなりにも「大学」をやってきたな、と思うのです。これから少し、この、「大学」というものについて話させてください。
 社会というのは忙しいところです。そして、その忙しい日常を滞りなく回していくことがとても大切です。そうでないと、列車が止まってしまったり、病院が機能しなくなったり、スーパーから食料品がなくなったり、とんでもないことが起こります。ですから、このように忙しい日常を、確実に回していくことで、ようやく社会は成り立っています。
 ところが、この社会は、社会の日常を成り立たせている仕組みについて、いくつもの証明されてはいない仮説を前提にして成り立っています。

曰く、集団で何かをやるには、必ず指揮官と兵隊が必要だ。指揮官は、人に命令する権限を持っている。指揮官には、高い報酬が払われて当然だ。
曰く、社会は競争があってこそ、活性化し進歩する。競争がない社会は、みんながうたた寝しているぬるま湯のようなものだ。
曰く、人間は、短期の利害得失を計算して行動する動物である。だからこの損得勘定で動く人間達の行動を前提に、その合計が、いい結果になるように、社会の仕組みは設計されなければならない。
曰く、人間はいつまでも物質的豊かさを必要としており、この豊かな社会は経済成長によって可能になる。したがって経済成長が国家社会の目標になる。
曰く、日本のような資源小国で豊かな消費生活を維持するためには、原子力発電というクリーンエネルギーが不可欠である。
曰く、長い距離を早く移動できるようになればなるほど、社会は発展し暮らしよくなる。

いくらでも例を挙げることが出来ますが、実はよく考えてみると、このように証明されてはいないけれど、多くの人が当然だと思っている沢山の仮説を前提に、社会の仕組みは成り立っています。これは当然です。いちいちの仮説について、その当否を十分に議論していては、社会はいつまで経っても動き出せないからです。それでは我々人類は生きていけません。そして大きな困難に遭遇しない限り、これらの仮説の上に社会が成り立っていることは、改めて振り返られることはありません。
 ところが社会や組織が、こうした仮説を前提に回していたのでは、どうしてもうまく動かなくなる時があります。それが、社会や組織にとっての転換期、すなわち危機です。この時に改めて、これらの仮説が果たして自明なのか、この仮説の上にあぐらをかいていていいのか、このことが社会全体の規模で問われることになります。
 しかし、それでは、こういうときに、躊躇無く、いままで自明だとされていた仮説を問い直すことの出来るのは、どんな人でしょうか。それは普段からそうした問題を考えていた人たちです。かれらはつまり、「すべての人間が問うべき問い」にして、しかし、「日常生活の中では問われることのない問い」(アラン・ブルーム)を問うことの出来た人々です。
このような「すべての人間が問うべき問い」にして、しかし、「日常生活の中では問われることのない問い」を原理的に問い、考えること、これこそがまさに学問そのものです。ですが、これは我々のいま生きている社会を成り立たせている前提に疑問を差し挟むことですから、社会と学問との間には、どうしても緊張関係が避けられません。学問とは社会という巨獣の巨体に突き刺さる、痛い不愉快なとげなのです。日常ではこのとげは、社会の円滑な運営を妨げる邪魔者として異端視されますが、その巨獣がそのまま惰性的に歩き続けていたのでは危機を回避できないとなったときに、このとげは、巨獣に反省と方向転換を促す役割を果たします。
それだけではありません。このような「すべての人間が問うべき問い」にして、しかし、「日常生活の中では問われることのない問い」を原理的に問い続けることによってこそ、社会的動物としての人間は、その精神の背骨を鍛えることになります。というのは、社会がどのような仮説を前提にして成り立っているのかを知ることは、そのような仮説に対して、及びそのような仮説から成り立っている社会に対して、自分はどのような態度をとるべきかを教えるからです。こうした態度設定こそが、まさにその人の人間的精神の背骨を形成することになります。
 このように考えると、「すべての人間が問うべき問い」にして、しかし、「日常生活の中では問われることのない問い」を原理的に考えること、すなわち学問することは、自分の精神的背骨をすくっと屹立させて、背中が丸くならないようにするために、何歳になろうとも、必要なことです。友と共に、この学問をするところが「大学」です。「大学」とは、決して制度としての大学のことでも無ければ、大学生のときに在学していた空間を指す言葉でもありません。人間の精神の有り様を示す言葉です。
 ですから私は、この過酷な時代にこそ、すべての若者達にお願いしたい。君よ、友と共に、生涯にわたる、我が心の大学を持て。これが、この社会の未来を背負う若者達に託す、私の最後の言葉であり、痛切な願いを込めた、はなむけの言葉です。

長野大学 学長
野原 光