グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



ホーム  > ニュース&トピックス  > 平成24年度卒業式 野原光学長告辞

平成24年度卒業式 野原光学長告辞

 本日、ここにお集まりの社会福祉学部111名、環境ツーリズム学部74名、企業情報学部75名 、計260名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。理事・監事および教職員一同、心よりお祝い申し上げます。またお忙しい中、多くのご来賓の方々のご臨席を賜り、厚く御礼申し上げます。そしてこの若者達を苦労して育ててこられた御父母の胸には万感の思いが去来していることとご推察申し上げます。
 さて、学生諸君を送るにあたって、私も、自分の、ささやかな、学生諸君との交流の経験から語り始めたいと思います。本気で学生諸君と付き合ってみると、この大学の若者たちからは教えられるばかりです。ちょうど、この春休みに、もう少し視野を広げたい、もっとものを考えたい、と希望する企業情報学部と社会福祉学部の2人の若者の求めを受けて、というかそそのかして、小さな自主勉強会をやりました。そこでは、第二次大戦期にドイツからアメリカに亡命したユダヤ人の女性の政治哲学者、ハンナ・アーレントの『イエルサレムのアイヒマン』を一緒に読みました。
 これは、ナチス・ドイツで、ヨーロッパのユダヤ人数百万人を整然とアウシュビッツ収容所に送り込む輸送計画の責任者、オットー・アイヒマンの戦後のイエルサレムでの裁判を傍聴して、ハンナ・アーレントが書いた論争的な報告書です。一緒に読みながら、分かるかいと訊いてみたら、彼等は、難しいから、四回から五回読み直すそうです。それでようやく何を質問したいかがはっきりしてくると云っています。
 まだ三章まで読んだだけなのですが、その中で、アーレントは、アイヒマンの特徴を様々に書き記しています。しかし、これだけでは、アイヒマンというのはどんな人だったのか、その像がなかなか結ばないので、一計を案じました。ひとつ、芝居で君たちがアイヒマンを演じることにしよう、そのためには役作りが必要だ、この本を読んで君たちには、アイヒマンとはどんな人に見えるか、十分間の時間をあげるから、纏めてみてくれないか、と提案しました。
 さて十分後に二人はなんと語ったか。A君曰く、「アイヒマンは、考え抜いて、自分の中から見つけ出した言葉を紡ぐのではなくて、他のひとが言っていた気の利いた言葉を借りてきて、それをあたかも自分の言葉のように使う。それは結局、その場その場の雰囲気の中で、その時々に自分に心地よく響く言葉を繋いで場面をつくってしまうことだ」。またS君曰く、「実務家のアイヒマンもまた『理想』を追う『理想主義者』だけれど、その『理想』の中身を自分で考えることはしない。だからそれを、誰か別の人や組織に与えてもらう必要がある。つまり、彼は自分が本当は何を考えているのかを知ろうとしない。そのときどきの気分に合う、『理想』を表すように見える、気の利いた言葉に酔っているだけだ」。これらはアーレントが描いた裁判でのアイヒマンの断片的な陳述を受けて、二人が、彼等自身の言葉で浮かびあがらせたアイヒマンの像です。 
 これには、僕はすっかり驚いて舌を巻いてしまいました。一人の人間の人物像を、「自分の中から見つけ出した言葉を紡ぐことなしに語るひと」、「理想の中身を自分で考えようとしない理想主義者」と見抜いてしまうことの出来る彼等は、自分が少なくともそうでありたくはないと思っているから、このように云うことができるのだし、こう云える彼等は、そのような人物にだまされてしまうことは決してないでしょう。この若者たちは、本物と偽物を見分ける確かな眼力を持っています。これが僕が出逢った一年生と二年生です。 
私たちは、このA君やS君のような、数多くの素敵な若者たちを、卒業生としていま送り出します。その君たちの門出にあたって、たまたまこの壇の上から語りかけることになった、人生の黄昏に立つ一人の人間として、僕はどういう言葉を以て、君たちにはなむけとすればよいのか。僕自身の過ぎてきた人生の中に、語るほどのものはないので、ある医者の話をしたいと思います。
 ご存じの方もあるかと思いますが、アフガニスタンの農村で、何十年も医療活動を続けてきたペシャワール会という医療ボランティア団体の中村哲さんのことです。中村さんは、アフガニスタンの戦争のずっと前からアフガニスタンで活動し、戦争中にすべての外国の支援団体が国外退去した後も、一人、農村に潜って医療活動を続けてきました。彼は活動資金を稼ぐために、時々、日本に帰ってきて講演活動などしながら、資金を稼いでまたアフガニスタンに戻っていきます。もう十年以上も前になりますが、その中村さんがテレビのインタビューで話したことが、僕の脳裏を離れません。彼はこう言っていました。「何十年かかけて、ようやくアフガニスタンの農村で受け入れてもらえるようになりました。でも考えてみれば、これは医者中村哲が受け入れてもらっているに過ぎないのです。私の本当の希望は、医者であることを離れて、ただのひと、中村哲として受け入れてもらうことなんです。でもそれには、まだまだですね」。 
この話がどうして僕の脳裏を離れないのか。それは、この話には、人間の本当のねうちとは何か、という主題が込められているからだろうと思うのです。人間のねうちとは、そのひとの持っている勲章や肩書きの数でもなければ、地位でも無し、所属でもない。そしておそらく達成した業績でもない。そういうものを一切無しにして、誰かが、ただのひととして、同じくただのひととしての僕たちの前に立ったとき、そのひとの立ち居振る舞いから、僕たちが、そのひとをすごいひとだと思えるとき、素敵なひとだと思えるとき、まさにそういうひとが、僕たちにとって頼みとすることのできるひと、信じるに値するひとなのです。肩書きや地位に頼って語るひとに惑わされてはなりません。だから僕は言いたい。ひとそのものを見よ、と。
 それからもうひとつ、これは毎年云うことなのですが、今年もまたどうしても云わないわけにはいきません。それはこうです。人間とはまことにやっかいなことに、意識というものを与えられて生まれてしまいました。無邪気に、無意識に生きることが出来ない、つまり、なんのために、という問いを忘れることが出来ないのです。そういうやっかいな存在としての人間は、苦しいときにどうすれば、それに耐え、それを乗り越えられるのか。 そのためには、自分を越えたなにか、なんでもいいのですが、自分の外にある、何々のために生きるという、何かがないと苦難を乗り越えることは出来ません。完全に自分のためだけに生きようと思っても、それでは底力が出てこないのです。自分の都合のためだけに生きているならば、いつでも、それは止めてしまうことが出来るからです。しかし自分の都合のためにだけ生きているのでないとしたら、簡単に自分の都合だけで生きることを止めてしまうことは出来ません。つまり自分を越えた何ものかのために生きる、これが必要であり、それは志を持つということですが、この志こそが、私たちに生きる力を与え、私たちの背筋をしゃんと支えてくれるのです。このことを、どうかいつまでも忘れないで欲しい。
こうして、そのひとそのものを見よ、自分の外になにか自分を越える志を見いだせ、これを君たちに送る、私の切なる願いとして、はなむけの言葉としたいと思います。


  平成25年3月19日            長野大学 学長  野原 光