地域パートナー連携事業の6つのプロジェクトから活動報告をさせていただきます。
- ページ内の情報は、全て2024年度現在です。
Peace Edu.は昨年度まで開講されていた山浦ゼミのメンバーが中心となってつくられた学生サークルです。
今年度はゼミから学生サークル Peace Edu.の活動に引き継ぎ、別所温泉への「集団疎開」に焦点をあてて調査をしました。
市内戦跡を巡るフィールドワークから始まり、戦争体験者へのヒアリングや立教女学院へ文献調査を経て、さらに研究を深めました。

今年度行ったヒアリング調査や文献調査などを学生たちが冊子にまとめました。
「若者たちへの伝言2024」を読む。
※無断転載・商用利用は禁止します。
冊子は、年度内に市内の図書館・小中学校・公民館に配布予定です。
これまで聴き取り調査にご協力いただいた方々をはじめ、関係の皆様に御礼申し上げます。
プロジェクト概要
たゆたゆふぁくとりー☆は、今年度信州上田学事業 【地域企業課題解決型】上田地域企業魅力発信プロジェクトのなかで、上田地域の企業を紹介するショート動画の制作に取り組んでいます。
対象となる企業様は上田市商工観光部地域雇用推進課の協力のもと選定しました。
株式会社R&Cながの青果様、 株式会社地元カンパニー様、 松山株式会社様
企業紹介(50音順)
株式会社R&Cながの青果様(上田本社 長野県上田市秋和)
2022年4月に県内同業の長野県連合青果株式会社と株式会社長印が合併して設立。
青果物、青果物加工品及び乾物加工品の卸販売業並びに委託販売業。
県内外に「美味しく安全で鮮度の良いもの」を安定供給するための流通ネットワークを展開。
青果卸売市場業界では第3位の売上高(2024年3月期)
株式会社地元カンパニー様(長野県上田市蒼久保)
2012年4月設立。ご当地グルメのカタログギフト制作販売が主力。
地域ごとの特産品を集めたギフト、復興支援ギフト、SDGsのギフトなどテーマごとに展開。
他にも、カタログギフト管理システムの提供やシステムサポート事業、受託事業としてシステム開発など。
松山株式会社様(本社 長野県上田市塩川)
業界の国内シェア・売上No.1!(日本農業機械工業会 調べ)
農業用機械の老舗「完成品メーカー」、トップメーカーとして、日本の食を支えている。
近年は、エコアクション21の取得をはじめ、様々な環境負荷低減への取り組みを継続的に行っている。(環境保全型農業の⽀援、⼆酸化炭素排出量の削減、廃棄物の削減など)
プロジェクトメンバー紹介
グループ名はメンバー4人の名前の最初の1文字を取って「たゆたゆふぁくとりー☆」としました。
リーダー(全体取りまとめ):田村 琢磨さん
連絡調整・インタビュアー:濱田 悠斗さん
資料作成・文書作成:松井 達哉さん
動画撮影・編集:野倉 悠正さん
(いずれも企業情報学部3年生)
4人それぞれの得意分野を活かしてプロジェクトを進めています。
本取り組みでは、学生たちが学生目線で面白いと感じた切り口から各企業様を取材し、企業様ごとに特色ある動画を制作します。
制作したショート動画をSNSで発信し、上田市の企業の魅力を学生目線で伝えて行きます。
撮影動画は編集を行い、最大90秒までのショート動画が投稿・視聴できるInstagramのリール機能を活用して、InstagramなどのSNSから配信する予定です。
現在、取り組みは各社様と事前打ち合わせが終わり、それぞれの動画撮影が終わりました。
今回は、活動報告第1弾として、株式会社R&Cながの青果様での撮影の様子をリポートさせていただきます。
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左:濱田 悠斗さん、右:田村 琢磨さん -
左:野倉 悠正さん、右:松井 達哉さん
写真は、定例MTGでの様子。
進捗確認、作業分担、動画内容や今後の進め方などを決めていきます。
株式会社R&Cながの青果様での取材・撮影(11月15日)
今回の動画制作で、最初の撮影がR&Cながの青果様となりました。
当日は、朝から好天に恵まれて絶好の撮影日和でした。
この日は、生産者様の収穫の様子を撮影させていただきました。
会社紹介の動画のテーマ:「身近な幸せ」

抜けるような青空の下、
立科町にて、生産者の片桐さん(写真中央)と
R&Cながの青果地物担当 朝倉麦さん(写真右)の
おふたりにインタビューさせていただきました。
インタビュアーは、濱田 悠斗さん(写真左)

遠景からの写真。
撮影は、こんなふうに行われています。
遠くには浅間山が見えます。
撮影は、野倉悠正さん(カメラ前)

撮影の合間には、収穫体験をさせていただきました。
収穫時期には、枝がたわむほど、たくさんのりんごの
実を付けます。
今後の活動
皆様のご協力によりまして動画の撮影は無事終えることができました。
・11月29日撮影:株式会社地元カンパニー様
会社紹介の動画のテーマ:「笑顔」
・12月6日撮影:松山株式会社様
会社紹介の動画のテーマ:「おもいやり」
株式会社地元カンパニー様と松山株式会社様での取材の様子は、第2弾で報告させていただく予定です。
現在は、編集作業に取り組んでいます。
今後公開する予定の動画につきましては、関係各所の許諾を取りながら進めて行く予定です。
最後に、今回の撮影にあたりまして、ご協力いただきました皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。
特に、当初からご協力いただきました、3つの企業担当者様には改めて感謝をお伝えします。
事前打ち合わせの時間をはじめ、取材や撮影にあたりましては、日程調整や各方面へのご連絡など、いつも快くご対応していただきました。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

信州上田学2024年度、地域パートナー連携事業のひとつ道の駅「美ヶ原高原」の魅力創出プロジェクトに取り組む
「森とゆかいな仲間たち」(企業情報学部4年生10名・森ゼミ)が、協働先の株式会社フジランド様と県内の道の駅の上田地域振興局様をお迎えしてプロジェクトの中間報告を行いました。
道の駅「美ヶ原高原」の魅力創出プロジェクトについて
道の駅「美ヶ原高原」運営会社である株式会社フジランド様と連携し、森とゆかいな仲間たちが道の駅「美ヶ原高原」の新たな魅力創出に取り組みます。
これまでのスケジュール
本プロジェクトでは、これまで以下の取り組みを行ってきました。
5/28 キックオフ会議
7/5 道の駅「美ヶ原高原」現地視察・意見交換
8/21 進捗報告会
9/16 道の駅「美ヶ原高原」にてアンケート実施
11/8 中間報告会
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7/5現地視察会 -
9/16アンケートを実施しました
中間報告会では、森ゼミ生が道の駅の関係者様に今後の事業展開の方向性を発表
発表会では、学生たちが事業のリアル展開に向けたアイデアをプレゼンしました。
合わせてターゲット層の中から、具体的なペルソナを設定、今後のリアル展開に向けたイメージの共有を行いました。

時間に追われて働く現代人の多くが忘れがちな「むだの必要性」に気づき、「むだの価値」を改めて認識させることにより生まれた余白を取り入れることで、心身のリフレッシュができると考えました。
雄大な自然と美しい景色に囲まれた美ヶ原高原での余白時間(むだ時間)の過ごし方を4つ事業展開として提案しました。
事業展開に向けた「4つの展開」

展開①時間的無駄
Lofti:ブックカーを中心とした、芝生広場の構築
Atta!!:〇〇探しラリーの実施
展開②時間的無駄
A Tempo:ハイキングコースを新設し、パーソナルスペースを設置
展開③時間的無駄・物的無駄
U Base:美ヶ原高原で過ごすための新たな拠点
展開④時間的無駄・物的無駄
Veil:むだで憩うためのきっかけが集う、購買の場
協働先の皆様よりのコメント
学生のプレゼン後、協働先の皆様にコメントをいただきました。
多くの暖かいコメントをいただきました。
ここではいただいた課題も含めてご紹介させていただきます。
- 美原憩斗が自分のことかと思った。
- 大学生のフレッシュなアイデアは参考になる。
- 完成度の高いアイデアが出てきて驚いた。
- 道の駅は600台の停められる駐車場がある。これだけの車が行きかう施設で、ゆったりとのんびりと没入感にひたることができるかが、大きな課題。
- リピーターが増えるような仕組みを考えてみては。
- 道の駅までにかかる時間のむだについても考えてみてほしい
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株式会社フジランド取締役 和田 行 様 -
フジランド不動産事業部 部長 北里 麻琴 様
今後の取り組みについて
引き続き、フジランド様と打ち合わせを重ねながら、リアル展開に向けて取り組みを進めて行きます。
次回は、12月20日に対面でフジランド様と打ち合わせを行う予定です。
引き続き活動へのご協力をいただけますと幸いです。
関連サイトのご案内
Peace Edu.は、昨年度まで山浦ゼミに所属していたメンバーが中心となって結成されたグループです。
メンバーは、栗林 果穂さん(社会福祉学部4年)、赤池 来菜さん・小川 真央さん・油井 凱心さん(いずれも社会福祉学部3年)の4人です。
主な活動内容は、以下の3つです。
- 上田市内(原則)に暮らす、戦争を体験された方々から、当時の様子や想い、私たち若い世代に伝えたいことは何かを聴き取る。
- 上田市内に残っている戦争の遺跡を調査する、フィールドワークをする。
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記録集にまとめ、市内の小・中・高校で語り継ぐ活動につなげる。
- 2022年度:PDF資料を別ウインドウで開きます「若者たちへの伝言」
- 2023年度:PDF資料を別ウインドウで開きます「若者たちへの伝言2023」
戦後79年の現在、当時を知る方々の高齢化が進み、直接お話を聞くことが困難となってきているなか喫緊に取り組む必要のある課題に向き合っています。
立教女学院での学童疎開調査(9月19日)
太平洋戦争時に立教女学院小学校に在籍されていた皆さんが、別所温泉つるや旅館に集団疎開していた歴史があります。(1944年8月25日から1945年11月8日)
当時の疎開生活を記録した貴重な資料を立教女学院資料室で、情報収集をさせていただきました。また、資料室のご担当の方々より、資料の説明や疎開についてのお話しを伺いました。
会田中学校(松本市)で「平和を考える特別授業」を行いました
(11月1日)
Peace Edu.の前身である山浦ゼミでは、2022年度に3校、2023年度に3校の上田市内の小中学校で、平和を語り継ぐ活動を行いました。
今回は、松本市立会田中学校での活動の機会をいただき、中学生や保護者、また地域の皆様の約90人の前で、プレゼン資料を使いながら授業を行いました。
「平和を考える特別授業~戦争の記憶をつなぐ~」の内容下記の4つのトピックから授業を行いました。

- 上田市には、飛行場があった!
- 上田市に空襲があったの?
- 戦時下の暮らしを聴き取りしました!
- 遊佐卯之助准尉の自決事件から考える。
中学生の感想
- 今回、上田市で起こった戦争のお話を聞いて初めて知ることが沢山あった。
- 来年の夏で80年。いろいろ考えさせられることが多いなと思った。
- 戦争は広島とか東京のイメージしかなかったけど、こんな身近にあったなんて知らなかったから知れてよかった。
- 戦争について詳しく知っている人と話したりする機会はなかなか無いので、大学生の皆さんからたくさんお話を聞けて良かった。
- これからもこういう話をちょっとでもいいから受け継いでいければと思った。

Peace Edu.リーダー 栗林果穂さん、Peace Edu.顧問 山浦和彦副学長
前列右から、Peace Edu.メンバー 赤池来菜さん、小川真央さん、油井凱心さん
Peace Edu.リーダーの栗林 果穂さんが、上田市戦没者追悼式でスピーチ(11月7日)
2024年11月7日に、上田創造館で「上田市戦没者追悼式」が開かれました。
上田市遺族会・市議・自治会関係者などの100人余が参列するなか、Peace Edu.リーダーの栗林 果穂さんがスピーチを行いました。
長野大学の学生(山浦ゼミのゼミ生)がスピーチを行うのは、昨年に続いて2回目。

追悼式の模様は、2024年11月8日の信濃毎日新聞に掲載されました。
また、UCVレポートから動画をご覧いただくことができます。(動画はリンク切れになる場合があります)
「平和へのメッセージ」冒頭一部抜粋

栗林 果穂さんのスピーチ 「平和へのメッセージ」PDF資料を別ウインドウで開きます全文を読む
今後の活動
Peace Eduでは、この後も聴き取り調査・疎開調査を行い、年度内に冊子などにまとめる予定です。
これまでに聴き取り調査にご協力いただいた方々、また今回、活動の場を与えてくださった皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。
引き続き活動へのご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
学生消防サークル 長野大学分団は、今年7月に長野大学の公認サークルとして設立されました。
部員は、学生5名(4年生1人、3年生1人、2年生3人)で構成されており、全員が女性です。
(うち4名が、上田市消防団に所属)
操法大会の練習や毎月の広報など、上田市消防団で行われている活動に、社会人の団員と共に参加しています。
今年度は学生団員を増やすための取り組み(SNS運用や学内での広報)を信州上田学事業のなかで実施しています。
また今後、学生団員が増えることを見込み学生団員同士で情報交換し、活動状況を把握し合う学生団員による自治組織となることを目指します。
りんどう祭での広報活動(10月19日~20日)

10月19日、20日の2日間、大学学食内の特設ブースにて、学生消防サークルによる広報活動が行われました。
学生消防サークルの地域連携パートナーである上田市消防団第十五分団の皆様と協働しブースを運営しました。
2日間で100人以上の方がブースを訪れ、地域の方々に防災について、また学生消防サークルや消防団について、周知することができました。
第十五分団の皆様には、文化祭前日の設営からブースの運営、後片付けまで、ご協力いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。 第十五分団のfacebookは、こちらから
アンケート実施
消防団の認知度、イメージ、入団までのハードルを調査するためのアンケートを実施しました。
りんどう祭終了後、約2週間正面玄関に展示し、多くの方にご回答いただきました。
アンケートボードイメージ
活動紹介ちらしの配布
1年間の活動を紹介するちらしを作成し、りんどう祭やサークル説明会で配布します。
DIG訓練(災害が発生したと想定して、地図上で対応を想像するゲーム)

Disaster Imagination Gameの頭文字を取って名付けられました。
DIG訓練は本来、地図を用いて行います。
りんどう祭Ver.ではイメージしやすいように、火災が発生した想定で消火活動の流れを小物やLEGOを使って体験しながら、防災対策を検討しました。
学生団員PR映像の展示
消防団員の活動を紹介する動画(約4分30秒)をブース内で投影しました。
非常食バッグの配布

アンケートに回答してくれた方、DIG訓練に参加してくれた方に、非常食バッグを配布しました。
非常食バッグには、長期保存可能なアルファ米・ペットボトルのお水・クッキーを入れて配布しました。
日頃から、防災意識を持って災害時に備えることの重要性を改めて認識してもらう機会としました。(非常食バッグは信州上田学事業で制作)
この他にも、フォトスポットとして顔出しパネル、消防資機材の展示などを行いました。(写真は消防団提供)
大学の防災訓練での防災に関する意識啓発・防災グッズの紹介(10月23日)

毎年恒例となった長野大学の防災訓練にて、非常用持ち出し袋「あっ!!たらいいな」パネルを展示しました。
学内の教職員に向けて、学生消防サークルの代表國井佳音さん(社会福祉学部4年)が、災害時避難の際に持ち出せると便利な防災グッズを紹介しました。
非常用持ち出し袋「あっ!!たらいいな」パネル

今後の活動

今後は、新年度のサークル説明会や消防団の活動のなどで、学生消防サークルのチラシ配布やInstagramでの情報発信などを行っていく予定です。
学生消防サークルの代表國井佳音さんのコメント
今回のりんどう祭での周知活動は盛況のうちに終えることができましたが、同時に課題もいくつか見つかりました。引き続き、活動の様子を発信して行きたいと思います。
まずは、学生消防サークルに興味を持ってもらい、消防団の活動を知ってもらうところから。
サークルの集まりや消防団の活動の見学することもできます。
興味を持った方は、学生消防サークルのInstagramのDMでお気軽にお問い合わせください
今年度の信州上田学地域地域パートナー連携事業にて、
①特定テーマ型:道の駅「美ヶ原高原」の魅力創出プロジェクトに取り組んでいる森とゆかいな仲間たち(森ゼミ4年生)が、協働先のフジランド様をお迎えしてプロジェクトの進捗報告と意見交換を行いました。
ゼミ生は、7月5日に実施した現地視察会以後、道の駅「美ヶ原高原」活性化に繋がるアイディアを探ってきました。
進捗報告会では、協働先であるフジランド様のニーズや道の駅利用者様に向けたサービスについての構想の基盤となるコンセプトを発表しました。
ここでのコンセプトは新たな価値の提供や問題解決の方向性、またプロセスを明確化するため重要な役割を持ちます。
ゼミ生たちの考えるコンセプト
道の駅「美ヶ原高原」のありたい姿として、以下のキーフレーズに目指すコンセプトを集約しました。


報告会後半の意見交換の時間では、協働先のフジランド様から具体化に向けてのコメントを頂戴いたしました。
また、9月15日・16日で道の駅「美ヶ原高原」にて、「上田地域 秋の観光・道の駅周遊促進キャンペーン」の実施を予定している上田地域振興局商工観光課様からも、本会議にご参加いただきました。長野県の道の駅を盛り上げるための取り組みを実施している観光課担当者様よりもコメントを頂戴いたしました。
今後の活動
森ゼミでは、秋に中間発表会を実施する予定です。
関係の皆様をお招きして、9号館リブロホールにて開催予定です。
中間発表会に向けて、コンセプトから目指すべき新たな価値の創出を検討していきます。
本日の進捗報告会等で得た新たな着想やさらに考えを深めつつ、学生たちの考える商品やサービスを具体化します。
本事業に関係する皆様、引き続きよろしくお願いいたします。

itomaは、学生と地域に新しい繋がりが生まれるコミュニティスペース、また、自由な使い方ができる拠点をつくることを目指して活動しています。
今回、より多くの学生の声を集めたいと思いアンケートを実施したいと思います。
学生の皆さんは青いシール、学生以外の方は赤いシールを該当の余白に貼ってください。
多くの方より、ご回答をお待ちしています。自由にご参加ください。
(アンケート期間は、7月29日~夏休み前まで)
アンケートの質問項目
- 静かさ(静か~賑やか)
- 運営スタッフとの関わり(浅い~深い)
- 他の利用者との交流(少なめ~多め、浅い~深い)
- 交流したい世代(0歳~100歳)
- 利用したい時間帯(6時~24時)
- 滞在できる時間(0~8時間)
- 通いやすい場所(別所線を利用する場合の最寄り駅)
- 飲食について(持ち込み・持ち込みなし、販売あり・ドリンク販売・ドリンク&フード販売)

平和について(SDGs16)活動するPeace Eduのメンバー2人が「無言館」館主でもあり、「残照館」館長の窪島誠一郎氏から貴重なお話を伺うことができました。
Peace Eduは昨年度まで開講されていた山浦ゼミのメンバーが中心となって今年度新たに作られたグループです。太平洋戦争時の人々の暮らしなどヒアリング調査を行いながら、「太平洋戦争を語り継ぐ活動」を続けています。
ページ内の写真につきましては掲載の許諾を受けています。(無断転載・商用利用を禁じます)
インタビューは、KAITA EPITAPH 残照館(旧「信濃デッサン館」)にて行われました。
インタビュアーは、Peace Eduメンバーで社会福祉学部4年生栗林果穂さんと上野未来さんです。
上田市前山にある残照館を訪ね、窪島館長から「無言館」に懸ける思い「残照館」に寄せる思い、次世代を担う若者たちへ伝えたいことなどをお聞きしました。
残照館が創られるきっかけとなる槐多との出会いについて

机と椅子は福島で被爆した木材を活用して制作されとのこと。
村山槐多との出会い~村山槐多に魅せられて~
残照館が創られるきっかけとなる槐多との出会いについて伺いました。
1941年、東京に生まれた窪島さんが、17歳の時村山槐多(むらやまかいた)の画集と出会ったことから始まります。
横浜で生まれた村山槐多(むらやまかいた 1896-1919)は、上田にゆかりのある画家 山本鼎(やまもとかなえ)のいとこにあたります。
槐多は「夭折の洋画家、詩人画人」称され、その絵は原色を多用した大胆な筆致で知られます。17~19歳の時にここ上田に滞在し、多くの作品を残しました。
『槐多は、従兄の山本鼎の家にひと月ほど滞在しながら、今の東御市の大屋、和(かのう)などで風景画を描いたんです。その当時の絵が、きっと残っているだろうと思い、集めたのが始まりでした』
槐多は、1918年から1921年にかけて世界的に流行したスぺイン風邪に罹りわずか22歳という若さで夭折します。
スペイン風邪は人類史上最も死者を出したパンデミックのひとつであり、約40万人がなくなりました。そのうちの20万人が若者たちでした。
窪島さんの青年時代
窪島さんは、22歳の時、色々な仕事を経験し、靴の修理や居酒屋も開業したそうです。
『昭和の時代は、なんでもOKの時代だったように思います。全員が我を忘れていた。高度成長でしたし、東京オリンピックもありました。当時、一家3人暮らしで3畳1間でした。その家を改造してお店をつくりました。おりしも高度成長期と重なり、経済は右肩上がりでした。
東京の明大前で店を出していましたが、マラソンでエチオピアのアべべと日本の円谷選手が競って店の前の沿道を走ったんです。ものすごい人が応援に出ていました。それで、おにぎり弁当を作って売り出したんです。反対もあったんですけど、そうしたら、それが大当たりしてものすごく儲かったんですよ。夜は、居酒屋でしたから賑わいましたね。ジュークボックスなんてのもあってね。人気があったね。
朝7時から夜中の2時、3時まで営業してました。昼間はコーヒー等のカフェ。夜はお酒を出しました。
当時は、「一戸建て」、「人並みの生活をしたい」これでしたね。「300万人も戦争で亡くなったことなど考えていませんでした。
この先に原発があることは、全く考えもしなかったんです』
東京から槐多のゆかりのあった上田へ ~夭折(ようせつ)画家たちの美術館をつくりたい~
『商売が成功したことで生活の基盤ができ、20代初めの頃から、槐多を始めとする夭折画家たちの絵をこつこつと買い集めました。絵好きが嵩じてやがては画廊をオープンすることになりました。やがて槐多の足跡を辿って何度か訪れていた上田が気に入って、夭折の画家たちの美術館を創ることになるのです。33歳の時上田に引っ越したんです』
前山寺の奥さん「ふみさん」との出会い(97歳で逝去)
『前山寺は、くるみのおはぎが食べられることで有名ですが、その前山寺のふみさんに相談しました。
「村山槐多をはじめとする夭折画家たちの美術館をつくりたい」とお願いに行きました』
すると、ふみさんは、次のようにお話したそうです。
「窪島さん。あなたが、目を輝かせ熱く語ってくれたのは本当にうれしいです。ただ、信州というところには、よそ者を受け付けない土地柄があるんですよ。特に東信は強いんです。だから、このおばあに任せてください」
そのかわり、「虎屋のようかん3つばかり用意してきなさい。」私がお話してあげましょう。
『しばらくして、ふみさんの言うとおり、地元の皆さんの理解も進みました。この地に残照館をつくれることになったんです。この残照館を建てる際には、地元の人たちも大勢手伝ってくれました。
床は、線路の枕木を切って埋めています。全部手作りですよ。
わたしが、33,34歳の時でした』

「槐多忌」と野見山暁治さんとの出会い~ふたつの命~
『村山槐多の命日は、1919年2月20日です。
2019年1月16日に、信濃デッサン館(現KAITA EPITAPH 残照館)では、彼を偲んで第40回「槐多忌」を開催しました。「槐多忌」は40年間続きました』
『14回目の槐多忌の時に画家の野見山暁治(のみやま ぎょうじ)さんをお招きしたんです。この時、夜は別所の花屋(旅館花屋)さんに泊まりました。当時は、新幹線もまだなかったので遠路から参加した人たちは泊まっていったんです。
それで、私が野見山さんに言ったんです。
「なぜか、早死にした画家にひかれるんですよ。生身の人間が亡くなっても、その人の絵もこの世からなくなるのは嫌だったんです。絵が残れば死んでいないんです。だから、画人には、ふたつの命があるんです。」
すると、野見山さんが言ったんです。「無名の画家ではだめなのか?」
画家への志半ばで、出征して戦死した画学生たちがいる。その学生たちの作品を集めたらどうか。という話でした。
半月後、私は、練馬の野見山さんの画廊に行き、一緒に北は北海道から南は九州沖縄、種子島を回りました。ご遺族の家を訪ね、手紙と作品とか資料を全部渡してください。とお願いして回りました。そうするとね。ほとんどの家で兄の絵を弟の絵をよろしくお願いします。と涙を流しながら渡されたんです。
こうして、全国のご遺族から預かった絵は、残照館の入り口の部屋に保管していました。
するとね、それらの絵から声が聞こえるんです。
「もっと描きたかった」
「絵をかきたい」とね。
一つ一つの絵はへたくそだったけど、画学生たちは、学徒出陣で大学が繰り上げ卒業になり絵が描けなくなってしまったんです。
画家になりたかった。その夢をかなえられない無念の涙があったんです。
だからね、僕は無言館よりこの残照館にいる方が落ち着くんです』
無言館への思い~ふたりの母に捧げる美術館
無言館は、本来あってはならない美術館
続いて、無言館についても思いを伺いました。
『無言館の真っ黒なポスターを作りました。この時、信毎賞を受賞したんです。でもね、この美術館は、本来あってはならない美術館なんです。
戦没画学生、一人一人のご遺族の思いは決して忘れられるものではないんです。彼らの作品は、生きています。ですから、モノとして呼吸し続けていける環境をつくらないといけないんです。
だから、私も高齢になってきたので、新しい館長を選ばしてもらってふたり館長で行きたいと思っています。また、立命館大学(立命館大学平和祈念ミュージアム)にもバトンタッチしたんです。
村山槐多の魅力については、信濃美術館(現長野県立美術館)に行くとわかりますけどね』
昭和の時代に流された人生
『戦争について考えてみると、戦争によって一家が離散し、育ての親と一家3人で苦しい生活を送ることになったんです。
私は、生みの母と育ての母のふたりの母を持っているんです。戦争がなければ僕を手放さないよね。だけどね、生みの母を恨み続けましたよ。
育ての母は、靴の修理をしていましたが、本当の母の存在を教えませんでした。本当の母の存在を知ったのは、だいぶ後になってからでした。でもね、見ず知らずの僕を高校まで出してくれたんだから、今はありがとうと思っています。
父は、水上勉です。私が無言館を建てたときに「せいちゃんがつけたんだろ。これはいい名前だ」と初めて褒められました。
2016年(74歳)にくも膜下出血で倒れ、2018年(76歳)には、がんを患いました。退院後、3年間無言館の設立一本でやってきたんです。
だから、好きな絵画に囲まれて死んでいきたいと思っているんです。
無言館は、僕にとって母の美術館であり、ふたりの母に捧げる美術館なんです』
未来への展望
自分の最後の仕事として、福島の被爆地の浪江町(3.11)と沖縄県那覇市おもろまち(6.23)に年一回公開の美術館ができないか考えています。しかし、なかなか難しいんです。
若者たちへの伝言〜窪島誠一郎館長からのメッセージ
やりたいことがあったら挑戦してください。「金がないから」と諦めるのではない。金がないという人は、金持ちでもできない仕事ができるんだと思った方がいい。
大事なことは、一生懸命必死に努力し続ける真剣さが大切なんです。なぜならば、努力の仕方や人とのめぐり会い、その時のタイミングとか運不運が関係するからなんです。
夢がかなうことは、夢を失うことと同時なんですね。
夢がかなわないことは、むしろ幸せだと思うことではないかと思うんです。
ー2024年7月7日(土)上田市前山 残照館にてー
インタビューを終えて
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インタビューを終えて -
記念撮影(残照館入り口)
今回インタビュアーを務めてくれた栗林果穂さんと上野未来さんが、感想を寄せてくれました。
社会福祉学部4年 栗林果穂
窪島さんのお話の中で特に印象に残った言葉があります。それは、「無言館は存在してはいけない美術館である」というものです。無言館は戦争があったからこそ生まれた美術館であり、私たちへの戒めのような役割を果たしているのだと思いました。
戦争により夢を奪われ、命を散らした画学生たちは、今のわたしたちをどう見つめているのでしょうか。ぜひ一度、無言館を訪れ、彼らの魂の叫びに耳を傾けてみてください。
社会福祉学部4年 上野未来
「無言館は本来あってはならない美術館」「作品がのこっている限り彼らはこの世から死んでいない。」という窪島さんの言葉が印象に残りました。無言館はただ「戦没画学生を追悼する美術館」として存在しているだけでなく、絵を描くことが大好きだった画学生たちの、「もっと生きて絵を描きたかった」という声を受け止めながら、彼らの命を守っていく場所でもあると私は捉えました。画学生たちは戦没してしまいましたが、彼らの作品の命を今後も守っていく必要があると感じます。
最後にインタビューを快くお引き受けいただいた窪島誠一郎館長、残照館スタッフの皆様にこの場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。
今回のインタビュー記事は、この他の記事と合わせて年度内にリーフレットなどの形にまとめる予定です。

2024年7月5日(金)森ゼミ4年生9名と3年生1名が、道の駅「美ヶ原高原」活性化プロジェクトの一環で、現地視察に訪れました。
森ゼミでは、道の駅「美ヶ原高原」の運営会社である株式会社フジランド様と協働し、道の駅「美ヶ原高原」の魅力創出に取り組んでいます。
今回の見学会は、道の駅「美ヶ原高原」の現状把握、課題共有・抽出が目的です。
当日はまたとまない好天に恵まれて、美ヶ原高原の雄大な自然に臨み、参加学生たちは実体験を伴うフィールドワーク通じて、美ヶ原高原の魅力と抱える課題への理解をより深めることができました。
指導教員紹介 | 森 俊也 教授 (企業情報学部 ) |
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現地視察会リポート(江口朝日)
森ゼミ(森とゆかいな仲間たち)リーダーのひとり、4年生の江口 朝日さんから当日のリポートが届きました。

「7月5日に美ヶ原高原を訪問し、現地視察と意見交換会を行いました。
当日は天候にも恵まれ、山岳ガイドの山崎様のご案内のもと、大自然を体感しながら美ヶ原高原の魅力を再認識することができました。
また、本プロジェクトのテーマである地域資源の活用に関連し、長野県営業局販売流通促進担当の方から信州ジビエの現状や活用方法についてお話を伺い、美ヶ原高原の魅力創出の一環として今後の参考にすることができました。
道の駅の支配人である塩之入様からは、道の駅の現状とこれまでの魅力創出の取り組みについてお話を伺い、森ゼミからも今後の具体的検討に向けた質問をさせていただきました。
今後の検討においては、実際に見て体感したことや伺ったお話を整理し、道の駅を中心とした美ヶ原高原の今後の在り方について議論を重ね、価値創出のための具体案を模索していきます」
見学会プログラム
美ヶ原ハイキング
~美ヶ原に関する談話を兼ねて散策~
登山ガイド オフィスヤマサキ 山﨑様、道の駅支配人の塩野入様
信州ジビエを取り巻く環境に関する談話
~信州ジビエの展開の現況・課題~
和食処「麻の葉」にて
長野県営業局販売流通促進担当 常見様・矢作様
売店・レストラン・展望テラス視察
道の駅支配人の塩野入様
意見交換会・ディスカッション
道の駅支配人の塩野入様、渉外担当部長の龍野様
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ハイキング -
信州ジビエに関する談話 -
売店 -
レストラン -
展望台 -
意見交換
今後の活動

森ゼミでは引き続き、関係者の皆様と検討を重ねながら、物販商品、レストランメニュー等々の新たな価値の創造、道の駅を盛り上げるため、何ができるか考えて行きます。
結びに、山岳ガイド山崎様はじめ、道の駅支配人の塩野入様、渉外担当部長の龍野様、道の駅全てのスタッフの皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。
また、見学会アレンジ、全工程にご同行していただきました 株式会社フジランド 常務取締役 矢野耕一朗様、 不動産事業部部長 北里麻琴様に改めて御礼申し上げます。

2024年6月28日(金)15時から、まちなかキャンパスうえだで、第1回大学生交流会を開催しました。