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7歳~15歳

担任の先生、もしくは特別支援教育コーディネーターの方に相談する方法があります。
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特別支援学級担任の先生や、生徒指導の先生がその役割を担っていることが多いようです。
主な役割としては、学校内の関係者や関係機関との連絡・調整、保護者に対する学校の相談窓口、校内支援体制づくりのまとめ役、担任の先生方の支援、校内研修の企画や運営などがあります。
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学校側では、ケース会議や支援会議を行い、支援を必要としているお子さんが安心して学校生活を送れるように、よりよい支援ができるようにしています。
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ケース会議は、お子さんにかかわりのある教員が必要に応じて集まり、支援を検討する会議です。
支援会議は、学校の教職員の他、保護者や関係機関等も参加し、普段のお子さんの様子からお子さんや親御さんに対してどのような支援を行うか検討する会議です。
 そのほかにも、進学や転校の際に、どのような支援があれば、対象のお子さんが安心して学校生活を送ることができるかを伝え、支援を検討する会議として移行支援会議があります。
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就学・進学先の決定は、市町村教育委員会が行います。就学・進学先に迷ったら、まず保育園・幼稚園・学校に相談してください。そして、早めに地域の小中学校や特別支援学校を見学させてもらいましょう。学習環境、授業内容、日課、通学方法など、それぞれの学校の様子を知ることができます。
教育委員会では、お子さんの障がいの状況や教育的ニーズ、発達検査等の結果、専門的知見からの意見、学校や地域の実情などを踏まえ、保護者との合意形成をした上で就学・進学先を決定します。したがって、わからないことがあれば学校見学の際にどんどん質問して、それぞれの学校についての理解を深めていただきたいと思います。
  納得できるまで、複数回の見学を希望される保護者の方もいますよ
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そんな方必見!!
発達障がいの子どもを持つ保護者の会が
上小地域にあります!

よつばの会
SAKUおむすびの会
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この他の支援者として、療育コーディネーターがいます。
療育コーディネーターとは、障がいのある子どもや保護者の方をはじめ、それにかかわる保健・保育・教育に携わる先生方からの相談を受けたり、福祉サービス等に係る関係機関への連絡・調整を行ったりする職種である。支援を行うにあたり、対象者の方のご家庭や、関係施設への巡回訪問、また、障害に対する正しい理解を得るための勉強会。研修会も行う。
 上小圏域障害者総合支援センターに療育コーディネーターとして勤務されている松村さんは、「幅広い専門スタッフと連携しながら、相談を受けたり訪問を行ったりすることが強みです。外来や学校での相談、施設や家庭への訪問、家族も含めた会議を通して、家での様子をみんなで共有してそこから支援を考える。親御さんの悩みを理解し、受け止める。こうして前まであった壁を取り払ってオープンにして、地域ぐるみで暮らしやすい地域をつくりたい。」と言う。
 障がいがある子供たちが地域で健やかに育まれ、そのご家庭が安心して子育てができるような地域づくりに療育コーディネーターは取り組んでいる。
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息子の小学校時代は感情のコントロールが上手くできなかったためすぐにキレでいました。
保健室の先生から「○君はいつも目が三角、いつも怒っている感じですよ。」と言われたり、当時の担任の先生に向けてのものだったのかと思いますがノートに「死ね、死ね」とたくさん書いたあったり。お友達からはいじめもあったようです。
転機は6年生になった時に変わった担任の先生が障がいにとても詳しく、対処が的確だった事でした。そこからWISCを受け、医療の受診をしASDの診断を受けました。
担任の先生は「僕に2年あれば○君を変えられる。でも1年しかないけど出来るだけお母さんとがんばっていこう」とおっしゃっていただけました。
具体的には、みんなでするスポーツの体育の時は教室で読書していていい。聴覚過敏があるので音が気になる時は手を挙げてつらい事を伝える などです。私とは「作戦会議」と称して頻繁に相談をする時間を取ってくれました。
この1年の支援で息子はずいぶん適応できるようになったと思います。
私も診断を受けてからは息子と共に(障がいと)戦うのだという気持ちでした。我流ですが障がいの勉強もしました。
息子にはASDの告知もしました。
中学では担任の先生と部活動の顧問の先生に診断の事はお伝えして支援をお願いしました。息子の特徴としてIQが高く、こだわりは強いが理論で説明すると納得して取り組むという子だったので この「こだわり」をうまく生かそうと思いました。
偏り、こだわりはそれまでの彼の人生 良い方向には作用していませんでしたが
逆転の発想でした。この頃の息子はとにかくたくさんのジャンルの本を読んでいました。本の中の登場人物から何かを掴もうとしていたのかもしれません。ASDの事を自分でも勉強し、感情のコントロールをしなければいけないと学んだのか、キレる場面が少なくなり、怒っている時間が短くなりました。
中学の頃の彼のなりたい職業の目標はドラマの影響もあったのか弁護士でした「将来希望してもいない 職業の職業体験なんて意味がない」という 本人の理屈でしたので受け入れ先を探すのも大変でしたが、弁護士事務所で職業体験をさせていただきました。
国語力はなかったのですが、教科担任の先生のところに毎日通い勉強していました。部活はサッカーをしていたのですが、「ドリブル 突破、キーパーとの一対一 」についてのこだわりは群抜きました。そして、息子は希望のサッカーが強い進学校に入学する事ができました。
高校にはASDの事はお伝えしませんでした。
高校は1言ったら10感じ取れる力が必要な 学校でしたので、学習面もサッカーも大きな壁が押し寄せました。本当に本人は大変だったと思います。学習面では
学年通信で古典の提出ノートが褒められるという事件が起こり、褒めれば東京タワーでも登ってしまうところもあるので、本人はそこから 古典にこだわり、そればかり偏って勉強しました。模試 で全国 一位を取ってしまった時もありました。
やはり 逆転の発想?と思う場面でもありました。サッカーもそうですが
いつも 自分の 武器 となるものを手探りして見つけていた気がします。それが、 自己肯定 感を引き上げていたように思います。 自己肯定感が引き上がれば 壁もある程度は乗り越えられるのではないか? 自信が持てるのではないか? そこから 開けて 見えてくるものがあるのではないかと 過ぎた時間を振り返って思います。
聴覚過敏 が極端にありましたので
常に大きな音で音楽をイヤホンで聞きながら 勉強していました。音楽聞きながら なんて勉強に集中出来ないのではと思っていましたが 本人はそれが一番集中出来る方法だったんですね。
1人親世帯なので 大学進学の選択肢は経済的理由で国立大学以外は無理でした。しかし、2次試験の面接は 高得点を取るには無理だな〜と思っていましたので、センターで勝負するには サッカーを10月頃までやっていたので勉強する時間がないと思っていました。現役は諦めてました。しかし、そこからの集中力は快進撃だったと思います。
姉と同じ 大学、学部でしたので 合格できたのは姉の力もあったと思います。運とやはり家族の協力でした。
将来なりたい職業は弁護士の息子でしたが、今は障害児教育コースを学んでいます。学部の選択の際、「自分を掘り下げていくんだよ。耐えられる?」と聞きましたが、「大丈夫!!」と言ったのでそこを信じました。大学の教授にはASDの事をお伝えしてありますが、「お母さん、心配しすぎ」と怒られています。一人で暮らしているので細かなASDからの特徴からくるトラブルが日常生活の中で本当に多く起こっていますが
今は見守るしかないと思っています。
まだまだ これからが 大きな壁、高いハードルの数々の人生だと思います。今まで 出会った方々の理解、支援で歩んでこれた人生だと思います。
先日 成人式を迎えた 息子 見て感じた事ですが、ひとつ、 たった一つでも自分自身が自信を持って 出来る事があれば、自分の存在価値もそこから見いだす事が出来て、明日への力になるのではないかと。社会に出るまでにはまだまだ課題は山積ですが、課題が山積の分希望も山積だと考えるようにしています。
小学校の頃は犯罪者になってしまうかも知れない‼と思っていた息子ですが、20歳を無事に迎え、皆様に感謝です。
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私の息子は限局性学習症、読み書き障がいです。視知覚認知が弱いので特に書くことに困難さがあります。
たいがいの子が小学校入学前くらいの年齢になると字に興味を示し出すのですが、
彼はまったくそういう事がありませんでした。字の学習が始まって、漢字よりひらがなや数字の方が困っていました。「ね」とか「る」とか「3」とか「5」とか よく間違えていました。島、馬、鳥、家 はどう構成されているのかわからないので鉛筆を薄く使いわざと小さくくちゃくちゃと書いてごまかすという技で書いていました。彼が小学校の時は学校全体で漢検に取り組むという校長先生の方針だったので、担任の先生が息子にも強く10級を小学校1年生と一緒に受けましょうと勧めてきたのですが、これってどうなんでしょう。6年生が1年生と同じ教室で同じ級の受検をする。彼がどんな気持ちになるかという事を普通の人なら想像がつくよね。それからしばらくして漢検は私的不正流用とかでニュースになり、学校をあげて漢検を推すという事が無くなったので本当に良かった。
私がそれにしてもこの子何か変?と思ったのはアルファベットの学習が始まった時に「b」と「d」「p」と「q」がひっくり返ってしまった時でした。何度練習しても習得できない。中学1年生の時におかしい、おかしいと思い 学校に相談したのですが「こんな子はどこにでもいる、もっと困っている子もいる、お母さんは太陽のようにお子さんの良いところを見てあげてほしい」とまったく取り合ってもらえません。心配しすぎのうるさい親と言われた気がしてその夜は眠れませんでした。今もあの時の悔しさは忘れられない思い出になっていますが・・・。そこで、私は千葉のかわばた眼科や信州医療センターに行き検査を受けLDの診断をいただき学校へ医師の診断書を提出し支援をお願いしたのです。自分の子の障がいを大金をかけて証明するという理不尽さを味わいました。
LDという診断は知的な遅れが無いのに、同学年の子たちより2年の遅れが認められると付くのですが、中学2年の時の検査で彼の読み書きの能力は小学校低学年ほどしかありませんでした。ですが、プランニング能力は年令より上でした。この能力のおかげで障がいをうまく隠していたのです。彼はアナログ時計が読めません。その事は絶対に誰にも知られたくないと言いますがディスレクシアの子たちにはこういう子が多くいます。また、入り組んだ地図や電車の路線図なども理解するのは「むり~」と言います。
こういう子たちが、自己肯定感を失わず学校という場所で学習をしていくには、合理的な配慮が必要です。
発達障がい児のための合理的配慮とは
能力に下駄をはかせるのではない、その子が一般の子とフェアな競争ができるように環境を整えてあげることです。「お宅のお子さんだけ特別扱いはできません、みんなと同じことをさせます」これは差別です。一番わかりやすい例として紹介するのが奈良県のディスレクシアの男の子の事例です。奈良県で2012年県立高校の入試で問題文の代読申請が認められました。
彼は公立の中学で定期テストで別室での試験と問題文の読み上げの配慮をしてもらっていました。個別の支導計画が三年間その旨がきちんと書かれていた事が良かった。
中学で受けていた支援があったおかげで高校の特別措置が認められたのです。
高校入試特別措置申請から3年。この生徒さんは大学センター試験を受けました。英語を含めた全教科の代読(英単語の発音、漢文は除く)による試験は全国で初めての例です。LDの子には時間の1.3倍の延長が認められていますが、読み書き障害の子には延長はあまり効果がありません。「彼には試験問題の代読をする」これがわかりやすい合理的配慮の例です。どこまでが合理的配慮なのか 事例を集めている研究所があります(国立特別支援教育総合研究所)事例はじつはあまり意味がないのです、なぜならば 学校の財政、さまざまな要因があるのでAの学校で認められた事がBの学校でも必ず認められる訳ではありません。でもヒントにはなります。
大切なことはまず私たち親が「何が合理的配慮であるのか」を理解して学校と折衝しなければならないということです。
合理的配慮は親が学校に申し入れしていくものです。学校から「これ、いかがですか?」と差し出されるものではありません。私たちは日々アンテナを立てて勉強をしていく必要があります。
最後に文科省が高校入試特別措置申請により各県の教委が許可をした例を紹介します。全国ではこのような支援を受けて入試に望んでいる子たちがいます。

○読むことの苦手なLDの子に問題文を読み上げた。
○別室を用意して静かな環境で試験を受けられるようにした
○試験時間の延長
○自閉症の子に対し集団面接を個人面接とした
○問題文を拡大して読みやすくした
○書くことが苦手なLDの子が口頭で解答を述べ、監督者が代筆した
○ADHDの子の保護者に別室待機を許可した
○自閉症の子に介護者の同席を認めた
○LDで漢字の識別がむずかしい子の問題文の漢字にルビを振った
○高機能自閉症がある子に対し、試験会場の下見を許可した
○集団面接の際、行動の手本役になるよう同じ学校の生徒を同じグループにいれた

私もわが息子の高校入試では措置を申請しました。
その詳しいことは「長野県LD等発達障害児者親の会よつ葉の会」のブログで紹介していますのでお読みください。
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      『進路選択~まずは高校進学~』          
 三男は、首の据わる時期から、なんとなく上二人とは違う感じがしていました。首が据わっているのに、なぜかふにゃふにゃした感じがするし、歩き出せば一人で勝手に歩いて行ってしまうくせに、よく転ぶ…つまずく…溝に落ちる…
 1歳から行っていた保育園で年少に上がるとき、園長先生から声がかかりました。何かあると思っていたので、受診にもつないでもらい、4歳で「広汎性発達障害」と診断されました。その時は、「やっぱりそうか!」ぐらいに思っていましたが、2年後の診断書に「軽度知的障害を伴う広汎性発達障害」と書いてあったのを見て、ぽろぽろ泣いたのを覚えています。なんか、取り返しのつかないことが起こったような気持ちになったのでした。
 小学校は、特別支援学級「自閉症・情緒障害児学級」に入級して、手厚く支援を受けて成長させてもらいました。まずは、1番苦手な対人関係や集団生活についてですが、1年1年いろいろな行事にも参加できるようになり、小集団で人との関係を学び、苦手な学級へも発展していけました。学習についても、できるところまで伸ばしてもらいました。「なぜ九九を教えているのか…もっと生活に根ざした勉強をした方が役立つ」とドクターに言われ傷ついたこともありましたが、この子がどう生きて行くことになろうと、伸びている間は、そして義務教育の間は、できるだけの学習もさせていこうと思っていました。
 中学校も、特別支援学級「自閉症・情緒障害児学級」に入級して、対人関係・集団生活はもちろんのこと、各教科の学習も個別にやっていただきました。正直、中学校の学習は難しいだろう…小学校の未習学の部分を習うのだろうと思っていましたが、しっかり中学校の学習を教えていただけました。宿題に出されたものは素直にやるので、中学の漢字が書けたり、基本的な数学の計算ができたりして、中間・期末テストでも、わずかですが点を取ることができるようになり、驚きました。
 さて、こんな我が子ですが、中学校以後の進学については、悩んでいました。まずは、中学校卒業後の3年間をどんな3年間にするのか?社会に出るための残り3年間をどのように過ごすのか?
兄たちと同じように、高校生活というものを味わう3年間にして、就労については、その後じっくり障害者就労支援センターにお世話になって考えても間に合うのかな?(だって親の会で高校生の就労についてそうやって教えてもらったから(^^)
いやいや、養護学校で、しっかり就労に向けて力をつけてもらって、すぐに就労できるようにしていくことが大事ではないか?
考えるポイントは3年後の就労が一番なのか?本人の希望ややりたいことはどこにあるのか?etc
 とにかく、本人と見に行かなくては始まらない…と1年生の頃から、養護学校や分教室、私立の高校を見に行きました。この頃になると、本人もかなり自分のことがわかってきていて、「勉強は無理かな…」、少人数の通信制を見に行っても「もっと少ない人数じゃなきゃ勉強は無理…」と話すので、養護学校の分教室か養護学校かを最後まで悩み、本人が養護学校進学を決めました。
 養護学校高等部に入ってみて、さすが本人が自分で選んだことだけのことがあり、いきいき通い学校生活を楽しんでいます。対等な友だちができ、働く作業にも自信を持って取り組み、養護学校対抗のバスケットボール大会に向けてバスケットに力を入れて体を動かしています。
 もちろん、失敗もたくさんあります。友だち関係や男女関係、日頃の言葉遣いや実習の作業態度など、ちょっとしたことでも学校以外で失敗してしまったら大変なことがいくつもありますが、ひとつひとつ学校でも丁寧に対応・指導してくださいます。もしも高校に行けたとしたら、このような失敗がたくさんあって大変だったのだろうなあと痛感することが多いです。このような様々な出来事を通して、親として少しずつ離れることができているように思います。「二人三脚でやってきたこと」や、「ここまで親が支援すればできる…」ということが、これからは、「一人でできる…」、「社会の他人様にお任せして見ていただく…」という移行が、親の気持ち的にも、本人の心構え的にもできてきたように思います。
 就労についても、この3年間をどのように過ごすかによって、本人の心持ちも違ってしまったかなあと感じることが多くあります。自分がどのくらいできるのかイメージが持ちづらく、自分の力を過大評価してしまったり、反対にやれるのに本気を出さなかったりする傾向のある子供たちなので、様々な実習を通して、たくさんの目で見て、社会に出て大切なことを一つ一つ厳しくそして温かく教え込んでもらえ、自分の良さや苦手なことに気づかせていただけることに感謝しています。
 「中学卒業後の進路選択=高校選択」が人生の一大事!とあの頃は思えていたのですが、実はこれからの「高校(高等部)卒業=出口=社会の入り口」が一大事!と今は思います。そして、そこからの先の人生の方がおそろしく長く、これからもまだまだいろいろな事件や分岐点はあるのだろうな…と覚悟を決めながら、その時その時でできることをして、本人と周りの皆さんと家族で知恵を出し合って、今までのように選択していくことがいいのだろうな…と感じています。
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今年、成人式を迎える息子に広汎性発達障害があったと判ったのは小6の2学期末。集団行動やコミュニケーションがうまくできず、注意力や集中力の欠如。遠視による弱視、聴覚過敏や書字の困難もありました。発達の偏りがあると解るまで、母である私の不適切な関わり方のせいもあり二次障害も出ていました。
中学入学後、すぐに教室にいられなくなり入級しました。文化祭の合唱、一部の生徒集会、登山や修学旅行等以外、ほとんどの時間を支援級で過ごしました。
そんな子が高校受験ができるのか、入れる高校があるのだろうか…?常に不安を感じていました。情報や学びを求めて、同じような子を持つ親の会や様々な勉強会へ通い、少し先を行くお子さんや保護者の皆さんの実体験からいろいろなことを教えていただきました。
○高校選びの視点について
息子はもの作りや自然に関わること、奉仕作業などは比較的、好きでした。
しかし、中学では大勢での学習や活動の経験が乏しかったので、高校は本人が興味を持ちやすい学科があり、静かで落ち着いた環境を大切にしたいと考えました。
中2の頃から、公開参観を含めて6校ほど、見学や体験に参加しました。
息子が好感を持ったのは地域に根ざした小規模の学校ばかりでした。共通していたのは『親切に声をかけてくれる先輩や先生方いてくださった。授業の内容がわかりやすくてよかった。』などの理由がありました。
WISCの診断などでお世話になっていた教育相談の先生からは「少しくらい遠くても本人にあった高校を見つければ通える。本人が納得して決めなかった場合は、どんなに近くても行かなくなる。できるだけ足を運んで体験させ、感じた素直な印象を良く聞いてあげるように。」と助言をいただいていました。ですからこの3校のどこかに入れたら、息子も3年間通えるかもしれないと希望を持ちました。中でも1つの高校には特に好感を持ち「文化祭にも行ってみたい。」と言うので、本人と私の母と3人で行きました。校内の展示を見たりクイズに参加したり、お花や野菜や手作りのお菓子を買いながら、小さな高校の素朴な文化祭を楽しみました。息子はその時、高校生になった自分の姿をイメージできていたのでしょうか。帰りの車中「この学校がいいな。」と言いました。
本人と親、中学の先生全員の意見がまとまり、息子は蓼科高校を受験することになりました。
○受験までの準備
支援級の先生方のバックアップもいただけ、前期試験を受けることになりました。
本人が自分で行きたい、という意識があることが大切だとアドバイスをいただいていました。支援級以外の授業には出られませんでしたが、高校へ行くんだという意識は持っていたようです。また彼なりに頑張っていることがありました。自転車で自力登下校ができていました。テスト勉強を計画的に進めることは苦手でしたが、日々の課題には取り組んでいました。以前から服装や身だしなみについては少し意識的に声をかけていました。本人も校則や支援級でのルールを守ることを大切に捉えてくれていました。
準備として具体的に力を入れたことは、次の2点です。
①志願理由書
本人の意思を重視。本人の言葉で表現できるよう考えさせる。
②面接練習
志願理由をもとに様々な質問を考えて練習を繰り返す。
学校と週一の家庭教師の先生の指導のもと、志願理由書の作成にはかなりの時間を費やしました。自分にこういう困り感があり、中学では支援学級にいたと言うことを自ら書くと決めていました。誤字脱字や解りにくい文章を書き換えることを繰り返しました。そして、それをもとに面接の練習も何度もパターンを変えながら取り組みました。
後期試験の可能性もあるとし、5教科の基本問題の復習は続けました。前期で受かるのは稀なこと…と考えさせました。
蓼科高校は普通高校で、当時、進学・社会教養・福祉の3つのコースがあり、息子は進学を視野に入れながらも、地域での様々な作業や活動を体験できる社会教養のコースに決めました。文章作りなどき疲れて集中しづらい時には、高校のホームページを開いて見たり、交通手段を調べたり、高校生になったら揃えるものを考えて、親子で気持ちを上げるようにしました。
体験入学の際、希望者は高校で個別相談ができましたのでその都度、ご相談させて頂きました。私も息子の頑張っていることや、まだ課題に感じること、高校生活で知りたいことなど、ざっくばらんにお話させていただいたり、質問をさせていただきました。
高校のイメージも膨らむ中、志願理由書は、本人の気持ちが正直で前向きに表現されたものになりました。その内容は面接で質問された際、答えられるように何度も何度も質問のバリエーションを変えた形で練習を重ねました。選抜試験の特別な配慮は求めませんでしたが、なんとか前期試験で合格することができました。

○当時・高校生になった兄を見た弟(小6)の感想。
『ちょっと遠いけど、ちゃんと高校へ行けていて、馴染めているんだと思う。毎日楽しそう。兄ちゃんに合ったいい高校に入れて良かった。兄ちゃんは高校に入って変わった。友達も増えていろんな人と仲良くできているみたいで嬉しい。』
親としても同感でした。高校にはスクールカウンセラーがいてくださり相談体制はあるようですが、彼が特に面談を求めたことはありませんでした。
入学してみると、1クラスなんと36人でのスタートでした。当初のイメージより10人多い印象でした。中学では続けられなかった部活動でしたが、縁あって美術と柔道の掛け持ちをしました。自分らしさを大切にしながらも、少しずつ新しいことに挑戦していける学校と出会えたのは感激でした。
学校はどんな学校であっても、毎年、学年のカラーがあり同じ学校であっても雰囲気が変わることは否めません。
また、彼は今年20歳になりましたが、人生のステージが上がれば上がったなりの課題や悩みは表れます。でも、彼が高校進学を機に成長がすすみ、新しいことに挑戦し始めたのは、親や周りの身近な人の意識、関わり方が大きく影響したからではないかと感じます。
息子のできないこと、苦手なことに注目することを減らす努力をしました。
やりきれなかったり、一見失敗したかに見えることでも、やろうとした本人の気持ちや、やってみようと考えて少しでも行動した姿を認めるように心がけました。
とにかく、実体験や経験値をあげることが大切だよと伝えました。
入学当初に比べら中3の頃はパニックはすっかり減ってきていましたが、彼の特徴的な困り感は本来あって当たり前と考えるようにしました。本人の自己理解は進めながら、親の方は急激な成長を望みすぎず、息子の特徴をむしろ可愛くて面白いぐらいに捉えていくようにしました。そのうちに息子自身が不要な苦手意識を感じなくなっていったようです。
それを高校3年間もその後も続けています。
とても驚いたのですが、高校時代やその後進学した専門学校で、自分と似たタイプの人の相談に乗ったり、先生との間に入るなど、彼だからこその視点で動くこともできるまでに成長していました。
大切なことは自己理解、自己選択、自己決定を促す周囲の環境作りだと感じます。
例えばもし、納得して入学したのにどうしても行かれなくなったとしたら?またその時に一緒に考えよう、と身近な私たちが腹をくくれていれば、息子をむやみに落ち込ませず、次の目標に向かうことができると考えました。この意識改革が良かったのかもしれません。「安心してやってごらん。」と言われたら、肩の力を少し抜いて「じゃあやってみようかな。」と思えるなぁと、私たち親が思えるようになった辺りから、息子の成長が目覚ましく進んだと感じます。
息子の高校受験を振り返ると、親子共に物理的な準備と、気持ちの準備の二段構えが必要だったな、と思います。
そして、これからも息子には「自分で考えて決めてやること、どんな結果でも実際に経験することが一番大事だよ。」と伝えていきたいと思います。
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